みんな本当に1時間に何千文字も小説書いているのか問題
四〇〇字詰三〇枚の小説を、二週間かけて書き上げた。その前に、キャラクター構成などを練り、大雑把な箱書きから、できる限り綿密にプロットを組んだ。執筆は、本文に入ったところからカウントしている。
元々筆が遅い方だとは思う。これでも精一杯早く書いた方だ。が、周りの人間が一体どのくらいのスピードで作品を書き上げているのかが気になって検索してみたことがある。
どうやら一時間に一〇〇〇文字以上は皆おおよそ書いている様子だ。なんとなくわかる。ここ数年、別の名義でブログを書いていたが、大抵一時間もすればそのくらいの記事のひとつは投稿できた。
そう思って小説を書くときは、執筆時間と文字数をエクセルに記録している。するとどうだろう。一時間で一〇〇〇字を書いた日など、まるでない。三〇〇字から、どんなに頑張っても七〇〇字。「三〇〇〇字から、調子のいいときは五〇〇〇字かな」とかいう人の記事を読むと、本当か? と、ばかり思ってしまう。
以前の作品の執筆と変えたのは、出来る限り毎日一時間は作品を書き進める時間を作ったことだ。筆がのる日は時間を延長することもあった。が、一度に時間をかけるよりも「毎日原稿に向かう時間を確保した」ことの方に意味があったと思う。
日中は会社に勤めているため、最低でも八時間は拘束される。睡眠時間もしっかり取りたい。時間を作るとしたら出勤前の朝か、退勤後の夜だ。本当は朝のすっきりした脳みそで取り組みたいところだけれど、早起きが苦手すぎる。
同じ眠い目を擦るなら、会社帰りのコンビニでコーヒーを買って粘る方がいい。「一時間だけ頑張ればいい」と、決めてから、自宅でも執筆ができるようになった気がする。それまでは、カフェやファミレスなど、場所を変えなければ集中などできなかった。
時間を掛ければいい作品が生まれるとは限らないが、速筆だからと言って名作である保証も同じくらいに、ない。それよりもまず、作品に「エンドマーク」をつける。これができなければならない。
周りができることを自分ができていないだけで焦ることはある。確実にこなすべき目標を見誤らず、できないやれないことよりも「できた」「やった」ことを認めていこう。誰もが同じ足取りなどとは、限らないのだから。社会人生活での学びが、ここで活きている。
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