見出し画像

やっぱり無理だった。抱えきれなかった。


無理が祟った。

最近私の心配性が悪化している。

今までずっと自分の将来に不安を抱えていた。
でも今は親の健康が気になって…心配で仕方ない。

私の母は今年67歳。
母の母、私の祖母はこの歳で亡くなった。
私は祖母が亡くなった後生まれた。
だから会ったことがない。
そして母が母を亡くした歳が今年の私の年齢なのだ。

厄年にビビり過ぎていると言われればそれまでだけど、そんな母の過去が頭から離れない。

何かあったらどうしよう。
そんな矢先、母が少し体調不良を訴え出した。
すぐに病院に行って欲しい、人間ドックも受けて欲しい、そんな一心でいたが、色々あって何も出来ずに今に至る。

予定していた人間ドックは事情があって1ヶ月先延ばしに。
検査を受けたら安心!って訳ではないけど、私の中でも辛抱の一つの節目としていた。
我慢我慢、一旦それまでの辛抱。

それが延期になってから私の不安はさらに膨らみに膨らんだ。
ちょっとした母の所作や言動が気になって仕方ない。その度に私の心に不安の波が押し寄せた。

日頃から色々と無関心な父親。
同居しているすぐ上の姉は実は知的障害を持っている。
離れて暮らしているもう一人の姉は夫のご両親の闘病で何だか忙しそうだし迷惑はかけられない。

そんなこんなで、誰に相談すればいいのか、こんなこと言って大袈裟だ、心配し過ぎずだ、と言われるんじゃないか。そんなことばかり頭をよぎった。

結局私は誰にも言えず、母に早く病院に行って欲しいと何度か言ったもののなかなか動かぬ母に嫌気と苛立ちを覚え、態度に出してしまった。
不安、苛立ち、罪悪感、もはや私の中で色んな感情が渦を巻いて何が何だかわからなくなっていた。

でも仕事はしなきゃいけない。
同居している以上、家族とは毎日隣り合わせ。
こんなに実家が息苦しいと感じたのは正直初めてだったかもしれない。

先日、姉が帰省してきた。
夜ご飯の前、私が限界を迎えた。
涙が止まらなくなって、動けなくなった。

そこに姉がやってきた。

「どうした?」

そのひと言が何とか堰き止められていたダムの水を一気に放水させた。
私は息ができないほど泣きじゃくった。
泣きながら肩で息をしたのはいつぶりだろう。子供の時以来かもしれない。

落ち着くまで姉は何も言わず背中をさすってくれた。

今までの我慢と辛抱を一気に吐き出した。
その時は、
誰にも言えない、言えばおかしいと思われる、そんなこと考えてる余裕はなかった。

姉はそうかそうかと言って聞いてくれた。
離れて暮らしているけれど私より10歳年上の彼女は家族のことをよく分かっている。
家族のことは家族にしか分からないことも多い。
だから今回ばかりは友達にも同僚にも、先輩にも、相談できずにいた。

でも、私が思っているほど私は強くなかったし、全て一人では抱えきれなかった。

今回は姉が助けてくれた。
帰り際に部屋に立ち寄って、
「何かあったらすぐ連絡しなよ」とひと言残した姉。

また涙が止まらなくなった。

私は私のことを全然分かっていなかった。
今でも全然分からないけれど。

でも確かなのは辛い時、苦しい時、泣きたい時、一人じゃなくって、そばで何も言わず背中をさすってくれるような人が必要だってこと。

当たり前のこと書いているようだけど、
こんな状況になって身を持って痛感した。

今度は傷が深くなる前に話そう。
変だって思われても良い。
それを我慢したら、私が私でなくなる気がするから。

今は全てが取り越し苦労になることを強く願っている。

本当は自分の将来について考えなきゃいけないのに、残念ながらそんな余裕今はなさそうだ。

また心配と不安の波が襲ってきたら助けを求めよう。

ゆっくり、焦らず、落ち着いて、私。
なんとかなるから。


自分に言い聞かせながら、、

🌿ひとりごと🌿

不安で居てもたってもいられなかった時、
ひとりお散歩に行きました。
こんな時、上を向いて歩かなきゃ行けない、本当はそうなんだろうけど、たまたまいつもの道に発見しました。
たまには下を向いて歩いてもいいのかな、、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?