日本の刺殺事件は私のような障がい者に対する
周到に計画されたヘイトクライムだ
The Japan stabbing is a hate crime against people like me
はじめに
2016年7月26日未明、相模原の障がい者介護施設で戦後史上最悪といわれる大量刺殺事件が発生した。障害者19人が死亡し26人が負傷したというこの凄惨な事件を同28日、英紙『インディペンデント』が辛辣に報じた。このコラム記事は、同紙の『Voices』というカテゴリのもので、「オピニオン」欄に掲載された。執筆者は同紙コラムニストのアラン・ヘネシー(Allan Henessey)氏で、自身も視覚障害を患う障がい者であることが記事の内容から読み取れる。このコラムは、「当事者視点」で書かれている。その言葉は、極めて辛辣である。そのことを前提に、以下邦訳(但し”超訳”)した。
ちょうど5年前、Tumblrに公開したものだが5年という節目を迎えた今日、二度と再びこのような惨劇が起きないことを祈念し、一部修正して特別転載する。尚、通常の翻訳は英日対訳とするが、今回は超訳にして文章の構成自体を変えているので、日英対訳と逆順にしている。
ソース
著者について
本編
Voices
日本で起きた刺殺事件は単なるテロではなく、
私のような障がい者が常に怯えながら暮らすヘイトクライムである
The Japan stabbing is not just terrorism - it’s a hate crime that disabled people like me live in fear of
Allan Hennessey
※Allan Hennessey氏の自伝的コラム
「植松聖の忌むべきテロ行為の背景には、私たち障がい者が、抑圧され、人間扱いされず、憎悪されているという冷徹な現実がある。」
トルコにはじまり、バグダッド、フランスのニース、米国に至るまで、この30日間ほどの間、世界は血にまみれ、比類のない惨劇に見舞われてきた。テロは各地で数多の罪なき人びとを犠牲にしていった。
だが、世界にはもはや、死者を悼み喪に服す時間すら許されない。テレビのコメンテーターらが事件の真相を手探りで解明しようとしている間にも、次の惨劇が報じられる。
そう考えてみれば、先日、東京の郊外の障がい者施設で起きた、18人が死亡し27人が負傷したといわれる「刺殺祭り(stabbing spree)」事件は、恐怖とテロに怯えなければならない、この新しい世界の一つの現実として捉えられるのかもしれない。
だが、日本の事件は違った。
日本で起きたのは、単なるテロ事件ではなく、障がい者を標的に周到に計画されたヘイトクライムで、日本の戦後史上最悪の大量殺戮事件(massacre)だった。
事件の起きた施設の元職員である植松聖(26)は、患者らが眠る施設に忍び込み、一人一人を刺し殺していった。
「私がやりました」
警察に自首しこう述べた植松は、「障害者がいなくなればいいと思った」と供述しているという。
戦慄することに、植松は過去、日本の政府当局者(※訳注:衆院議長であるとは書かれていない)に対し、日本の障がい者コミュニティを体系的に「一掃する」方法を書面で訴えていたという。その手紙で植松は、「すべての障害者をこの世から抹殺すべきです」という趣旨の主張を繰り返し、「重複障害者を安楽死させられる世界を望みます」と綴っていたという。
この惨劇が行き着くのは、「サイコパス(精神異常者)が野放しにされている」という現実だと思うかもしれない。物静かな、人の良さそうな、ゲーム大好きなもやし人間が、突然表に出てきて、社会を恐怖のどん底に叩き落とした──と。だが、そうして、今回の惨劇を、その特異でドラマチックな事実の範囲に狭めてしまうのは、あまりにも容易い。
植松が東京の郊外で起こしたこの事件は、より大きな問題のひとつの兆候でしかない。
植松をサイコパスたらしめるのは、障がい者蔑視を残忍な行動で表したことにあるが、植松の忌むべきテロ行為の背景には、私たち障がい者が、抑圧され、人間扱いされず、憎悪されているという冷徹な現実がある。
私たち障がい者は、社会の発展を妨げるものだと捉えられている。ひん死の経済から活力を奪う存在で、厳しい国家運営を迫られる国家に寄生する存在だと。「納税者」であるあなた方の大切な収入を吸い取る「怠け者のヒル(lazy leeches)」のような存在だと。
英国も例外ではない。
私自身も、障がい者として「健常者(ablest)」たちの侮蔑の意志が自身に突き刺さるのを感じたことがある。
それは、そうしなければ「失礼だから」と、バスの中で席を譲ってくれる乗客の苛立ちの中に感じる。
私が全盲だからと、それを難聴とこじつけて、私に向けて思い切り叫ぶ堪え性のない医師たちに感じる。
私が読めないからと、パワーポイントのプレゼンを判読可能なフォーマットに作り直さなければならないことに憤慨する講師(講演者)の面々に感じる。
私が”おかしな目”をしているからと、「こんなイカレた野郎を通すかよ」とノーウィックのクラブで私を突き飛ばした用心棒の男に感じる。
幸運なことに、この記事を書いている時点では、私はヘイトクライムの犠牲には遭ってない。しかし〔英国では〕、障がい者に対するヘイトクライムが実に213パーセントも増加している。Scopeという慈善団体によれば、〔英国の〕障害者の6人に1人が、なんらかの恫喝的な、あるいは攻撃的な態度に晒されているという。
これらの犯罪的行為は、単なる攻撃に留まらない場合がある。ニューキャッスルでは、リー・アーヴィング(Lee Irving)という24歳の自閉症の青年が無残にも殺された。警察は、障がい者へのヘイトクライムだという。彼も、日本の犠牲者らと同じように、刺し殺された。彼の遺体は、彼の母親の実家から16キロ離れた枯草の咲く野原に放置された。
私たちはいま、ひじょうに生き辛く、醜い世界に暮らしている。戦争やクーデターや爆弾が、常に私たちの生活を脅かしている。
しかし私たち障がい者にとっては、恐怖や不安の中で暮らすことは日常でしかない。ずっとそうであったし、社会の私たちを見る目が変わらないかぎり、そうあり続けるだろう。