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【紹介】吾輩は駒であるについて

「吾輩は駒である」は「吾輩は猫である」のパロディ小説だ。

子供の頃、実家には洋間と呼ばれる部屋があり、その部屋の棚には「日本文学全集」がざっと50冊ほど並んでいた。
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、田山花袋、島崎藤村、三島由紀夫、川端康成など、だれが聞いても知っているような作家の作品ばかりだった。
ただ、部屋の装飾用として買ったのではないかと思うほど、「日本文学全集」を両親が開いているのを見たことがない。
中学生になり、国語の勉強方法がまったくわからなかったので、読解の練習と称して、このだれも読まない「日本文学全集」を読むようになった。
いまにして思えば、本を読んだところで読解力がつくわけなどないのだが、当時は結構真面目に本を読んでいたように思う。

その中でも教科書でおなじみの夏目漱石は、最初に手をつけた。たしか教科書には「坊っちゃん」の一だけが掲載されていたと思うが、残り十一まで一気に読んだ。
そして読み終わったあと、「彼のどこが正義漢なんだろう?」と思った。
当時の私には、どう考えても坊っちゃんに感情移入できなかったのだ。
松山に赴任するなり、「大森ぐらいな漁村」と、松山と大森を同時に田舎と馬鹿にして、地元の人を田舎者と、ことあるごとに蔑む。
さらにはうらなり君が宮崎の延岡に行くと聞いて、「猿と人とが半々に住んでる」と延岡まで徹底的にディスる始末。
あまつさえ、山嵐の話を全面的に信用して、赤シャツと野だいこに暴力をふるう。現代だと確実に傷害事件として地元ニュースになるような案件だ。
松山を去る際に、「不浄な地」とまで言われた松山市は、坊っちゃんゆかりの地と喜んでいる場合ではないと思うのだが。
最後に登場する清の話だけは、ほっこりしたので、読後感は悪くなかった。

そんな夏目漱石の有名な作品の一つ、「吾輩は猫である」は書き出しで、「面白い」と思った。
猫を主人公にして人間を皮肉に観察しているが、その人間の姿が滑稽で、どんどん引き込まれていったような気がする。
「ここで登場する主人は夏目漱石本人がモデルなんだろうなあ」と想像しながら読んでいくのも楽しかった。
最後に猫が死んでしまったのは残念だったが、ずいぶん面白く読めたと思う。

「吾輩は駒である」は猫を駒にして、主人を棋士にして観察すると、面白いのではないかと思って、書いてみた。
かなりマニアックな話になっているので、将棋を指さない人には、あまりわからないかもしれない。

「坊っちゃん」で思い出したが、中学の時の学芸会(文化祭?)で、私は赤シャツ役に抜擢され、劇中で悪役として見事コテンパンにやられた。
その劇は、坊っちゃんが赤シャツをやっつけ、マドンナと結婚して、めでたしめでたしという、原作完全無視の脚本だった。
偉大な漱石先生の原作に手を加えるとは、だれが脚本を書いたかは覚えていないが、大した度胸だったといまにして思う。

ちなみに、私が坊っちゃんの「正義」に疑問を抱いているのは、その経験があったからでは、決してない。
と思う。

最後に。
「吾輩は猫である」の話が、「坊っちゃん」の悪口のようになってしまったことを、深くお詫びします。

小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)