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【雑記】夏休み、理科の宿題

息子の宿題で、科学に関する本を読んで感想を書くというのがあった。
先日行った水俣病資料館を思いだし、「水俣病の科学」(西村肇、岡本達明著)を購入した。

息子に読ませる前に自分が読んでみると、震えがくるくらい面白い。
なぜ水俣で急性劇症型メチル水銀中毒を発症したのか、なぜあの時期なのかを著者が現代の科学に照らし合わせて解明している。
息子の宿題そっちのけで、私のほうが大ハマりしてしまった。

初版が2001年。
著者の一人、岡本達明先生はチッソの元社員。
あれから長い年月を経て、最新の化学技術でメカニズムを解明した著者の両先生には尊敬しかない。
併せてカーバイドーアセチレンの石炭化学工業から、エチレンの石油化学工業へ移行していった昭和に思いを馳せ、胸熱。
八幡製鉄、筑豊、三池、三角西港、水俣とすべてが微妙につながっているのか、と。
化学系の本を読んでここまで感動(別の意味で震撼させられたが)するとは、何年ぶりか。

で、あまりに興味深いので、内容をメモしておく。

1932年日本チッソ株式会社(以下チッソと呼ぶ)がアセトアルデヒド(CH3CHO)の生成を始める。
水俣病が最初に発見されたのは1953年末。以来1956年4月まで多くの患者が発生した。
それから3年間(1959年まで)は、中毒原因物質のメチル水銀(CH3Hg+)を突き止めるのに費やされた。
さらに9年間(1968年)、原因がアセトアルデヒド生成工場にあることが判明し、日本政府が水俣病を公害認定するまでに費やされた。

CHCH(アセチレン)+ H2O + HgSO4(硫酸水銀:水和反応の触媒) ⇒ CH3CHO + (CH3Hg+:触媒が失活してメチル水銀が生成される)

※中間体のCHOHCHHg⇒CH2CHOH(ビニルアルコール)を経てCH3CHOになるのだが、中間体のCHOHCHHgがメチル水銀になってしまう。

そして32年間(2000年まで)、チッソのアセトアルデヒド工場で誕生したメチル水銀が水俣病の原因として完全に証明されたわけであるが、2つの謎が残った。

(1)チッソは1932年からアセトアルデヒドの生成を始めている。それなのになぜ、1953年になって水銀中毒症が多発したのか?

(2)世界中でアセトアルデヒドを作っている工場はあるのに、なぜ水俣だけで発生したのか?(厳密には新潟でもあったが規模が違う)

(2)に関しては水俣の水俣病資料館を訪れたときに質問したことがある。その時は水俣(不知火海)は天草諸島に囲まれていた内海だったので汚染が進んだ、という説明をしてもらった。
ところが本書では別の原因を突き止めている。

(1)に関して
チッソは1951年に助触媒を二酸化マンガン(MnO2)から硫酸鉄(FeSO4)に変更していたが、今まではマンガンがメチル水銀の生成を抑えていたことが実験結果により証明された。
しかし、むしろ硫酸鉄を使用するやり方は世界中で使われていた。それなのになぜ水俣工場だけで起こったのかと言うと、機器の老朽化に加えて、1954年8月まで、チッソは助触媒に硫酸鉄を使用せず、自社硫酸工場の廃棄物である「バイライトシンダー(硫化鉱石の残滓。通称赤ねこ)」を使用していたことが判った。
そしてこれが1953年になって患者が爆発的に増えた原因だった。

(2)に関して
チッソ水俣の工場の精留塔ドレーンの塩素濃度が他の工場に比べて高かった。
反応器内でメチル水銀が発生しても塩素イオンが全くなければメチル水銀は蒸発器で蒸発せず精留塔ドレーンにメチル水銀が含まれることはなかった。しかし、チッソの蒸発器ではメチル水銀の50%が塩化メチル水銀だったことが推定される。
チッソが海の近くだったために塩素濃度が高かったのも要因の一つだが(最初は用水に海水を使用したのではないかと疑われたくらいだがこれは否定された)、チッソの企業体質にあったのではないかと結論づけられている。

結局の話、モノさえできればどうでもいいといった当時の経営者の考え。メチル水銀が原因だとわかっていたにもかかわらず、徹底して隠匿した当時の企業体質にその原因があったということだった。

当時の化学では防げなかったというのはわかるが(中間生成物であるメチル塩化水銀については不明だった)、原因がアセトアルデヒド工場の廃水というのはすぐにわかるはず。
しかも重金属が原因だろうということはわかっていたのにしらばっくれるばかりでなく、メチル水銀説を唱えた熊大研究班への嫌がらせもエグい。
あまつさえ、塩化メチル水銀の抽出に成功した若い技術者まで左遷する。
安全性を無視した老朽機器の運転、助触媒に硫酸鉄を使わなければならないところを硫酸工場の廃棄物を使う暴挙。
チッソのやり方を見ていると、別の企業で現代でも起こりうるかもしれないと震撼させられる。

そう言えば、先日水俣のチッソの門の前を通ったとき、病名を「水俣病」ではなく「メチル水銀中毒症」に変えろという看板を見かけたが、たしかにその通りだと思う。
最初は原因が特定できなかったので風土病のような病名がつけられてしまったのだろう。
現在の水俣市の寂れようを見ると(本来なら熊本第二第三の都市になっていても不思議じゃないと個人的に思う)、そのことが水俣にとって不運だったのだろうなとも思う。


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