見出し画像

良い仕事・良いアウトプットの正体

非常に残念なことに、多くの仕事は絶対的な尺度では測定されない。(営業の仕事の受注額とか完全に定量化可能なものは除く)

全く同じ仕事をしても、依頼主によって評価は大きく変わる。たとえ同じ人であっても、タイミングが変われば評価も変わる。(人間だもの)

この大前提を忘れてしまうと、仕事・プライベートを含めた色々な場面で永遠にやりにくさを感じることになるし、評価もされにくい。

では人は何をもって品質が良い悪いと言っているかというと、「①期待値との比較」x「②実績バイアス」というのが多分適切な表現だと思う。

※長くなってしまったので、この記事では「①期待値との比較」についてだけ触れる。

「①期待値との比較」とは何か

これは言葉の通り、依頼者が想定しているアウトプットを上回ったかどうかで測られる。

日常的な「期待値との比較」による悲劇の例
例えば、風邪を引いた家族に薬を買ってくるよう頼まれたときに、単に葛根湯を買ってくるだけでなく、ポカリをついでに買ってくると喜ばれる。
依頼者としては風邪薬を買ってきてもらうことが期待値だったはずなので、ポカリは期待値を上回ることになる。

この文脈で人類が抱える最も深刻な問題は、依頼者が期待値を正しく言語化できていることがほとんどないということ。
上記の例だと、「葛根湯+ポカリ」に対して非常にポジティブな反応をするのがほとんどだと思うが、人によっては当たり前のような反応をすることがある。後者の人はかりに葛根湯だけを買ってきた場合「気が利かない」と思ったりする。(とばっちりである)

この場合、後者の人は「風邪薬を買ってきて」と口では言いながら、実は「葛根湯と水分補給できるもの、ついでに消化の良い食べ物も買ってきて欲しい」という感じの期待値を持っているので「葛根湯だけ」は期待値を下回ることになる。結果、せっかく薬を買ってきた人はいわれのない低評価を受けることになる。

仕事における「期待値との比較」による悲劇の例
風邪薬の例は誰しも簡単に理解できると思うが、仕事でも原則は同じで、システム開発に置き換えるとわかりやすい。
いわゆる「仕様書」は先の例における「風邪薬買ってきて」という依頼に相当し、「仕様書通りのプロダクト」は先の例における「葛根湯だけ」ということになる。
開発者は当然仕様書に記載された通りに開発を行うことになる。こんな場合によくあるトラブルは、仕様書通りなのに依頼者的には満足なものが出来上がらず、開発者に修正依頼を行うことになる。
開発者的には仕様書通りに作っている以上、修正をする義理はないということになる。こんな場合、受託開発であれば開発者は追加料金を請求することになるが、依頼者側としてはそもそも十分な品質のアウトプットを受け取っていないので、追加料金など言語道断という感覚になる。

悲劇である。

期待値を伝えようとすること、知ろうとすること

ここまで書くと、なんとなく依頼者側(風邪薬とポカリが欲しいと明言しなかった人、仕様書に要求を反映しきれなかった発注者)が諸悪の根源のように思える。しかし、よほど簡単な依頼を除いてこれは双方の責任と捉えるべきだと思う。

被依頼者としての心構え
ここからは仕事の文脈に話を絞るが、昨今の複雑化するビジネス環境において、事前にあらゆる仕様や要求を完璧に言語化することなど常人には不可能である。
このことを前提にすると、被依頼者は受けた依頼は字面通りに受け取ってはならず、隠された要求を知る努力をする必要がある。
依頼者とコミュニケーションをしながら、依頼者の置かれた状況に思いを巡らせたり、常識と照らしたときに違和感がないか考えてみる、といったことを通じて「隠された真の要求」を明らかにしていく必要があるということだ。完璧に要求を捉えることは難しいが、最初は仮説だとしても、そういったことにトライすることが求められると思う。
確かにめんどくさいプロセスだが、ここを怠ると、先述の悲劇は永遠に繰り返されることになる。
逆に、こういったプロセスを丁寧に行えれば、仮にスキルが二流だったとしても「良い仕事」というのは十分にできると私は信じている。(もちろんスキルアップをしなくて良いわけではない)

世界は多様で意外と優しいのだ。

依頼者としての心構え
さて、被依頼者としての心構えは先に書いたが、依頼者にもやるべきことはある。当然、自身の中にある要求をできるだけ言語化することだ。
だが言うは易し。先程書いたように

昨今の複雑化するビジネス環境において、事前にあらゆる仕様や要求を完璧に言語化することなど常人には不可能

なのである。(事前の)完全な言語化は諦めた方が良い。
完璧な言語化を諦める代わりに、

・要求を完璧に言語化できていないことを認め、相手方に伝えること
・アウトプットに満足ができないとき、もしそれが明確に言語化できていない要求に起因するものなら、依頼者の側にも責任の一端があることを受け入れること
・これらを踏まえて被依頼者とコミュニケーションを継続的に行い、自身の要求を言語化する努力をし続けること

あたりに取り組んでみてはどうだろうか。
正直面倒だし、人に頼んでいるのに結構時間がかかるので非効率にも思える。だが、そもそも簡単なことを依頼していないわけなので、どうやっても大変なのだ。ちょっと難しそうで面倒なことを外注したところで本質的に楽にはならない。
たとえば、専門的な分野をコンサルタントに依頼するにしても、最低限の基礎知識がなければぼったくられるリスクもあるし、コンサルタントのバリューを引き出すことができない。

一旦のまとめ

人によっては、当たり前だと思われるかもしれない。ただ、(自分自身も含めて)当たり前のことさえできない人が多いのも事実だと思う。
今回は、以前戦略コンサルタントをやっていたときには被依頼者の視点で、経営者をやっている今は依頼者の視点で、「何かやりにくい」と思ったときのことを思い出して言語化してみた。

イケてるスキルやノウハウを語る前に、こういった普遍的なことを理解し、実践することが大事なんじゃないかと思う。

「②実績バイアス」については後日。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?