ナラティブaboutナラティブ

 『戦争をエスカレートするのはどちらか――ロシア・ウクライナ戦争における「語られ方」をめぐる攻防』を読んだ。
 …………少々不用意ではないかな、と思いながら本稿を書いている。

前置き

1)筆者と本稿について

 上掲の記事を寄稿された鶴岡氏(慶應義塾大学准教授)と違い、筆者は諸々素人であって、ウクライナの最新情勢も当地の歴史も、語れるほどの知識はない。なのでその辺りには踏み込まない。
 趣味的にことばを偏愛する立場から、ナラティブという複層的・・・な概念の取り扱いについてのみ言及するものである。

2)ナラティブとは

 直訳すると『物語』。『ナレーション』の語根である詳しく語るnarrateから派生した、『語られたモノ』。
 最近何かと良く聞くことばだが、概念としては新しいものではない。今回の文脈でいえば(戦争の)『大義名分』『正統性』『国際社会からの支持』などと捉えておけば良いだろう。そういった立ち位置ポジションを、言説やフェイクや脅しによって奪わんとする空気作りがナラティブ・ウォーだ。
 〔実際に起きた出来ファクト事〕と対称的な概念、〔受け止めナラれた事ィブ実〕とも説明できよう。

3)空気の実効性

 そんな空気なんかに実質的な力があるのか、という疑問もなくはない。だってロシアは国際世論から袋叩きにされても戦争を止めていないのだから。明らかに正統性の無い侵略を堂々と続けているのだから。
 しかしウクライナへの支援がナラティブに支えられている面は少なからずあるだろう。現に――歯がゆいことだが――国際世論で話題にも上がらない紛争地域は、ウクライナほどの支援を得られていない。

本題

1)論点の整理

 『戦争をエスカレートするのは〜』の要旨をまとめると以下の通りである。

  • ロシア・ウクライナ戦争について語ることは、そのような意図がなくても、ウクライナに譲歩や忍従を促す言説になりかねない。

  • それがロシア側の狙いであり思う壺である。

  • だから不用意な語りをすべきではない。

 『そのような意図がなくても〜』とは、以下引用部のような意味だ(強調は引用者)。

 目的は、ロシアとしてウクライナの攻撃を阻止するための国際世論、ナラティブづくりである。「ウクライナが攻撃すればロシアはより強く反応する可能性がある」まではロシア側の考え方についての分析だが、議論はそこで終わらずに、「それゆえウクライナは攻撃すべきではない」という後段が不可避的についてきてしまうのである。そしてこれこそがロシアの狙いである。
 その結果生じ得るのは、ウクライナ〔…〕が、エスカレーションの元凶のようにみなされて批判されたり、ウクライナ政府に対して攻撃を思いとどまらせるような圧力が行使されたりしてしまう状況である。〔…〕これこそ、語られ方をめぐる戦いであり、メディアを含めた国際社会が大きな役割を担っている。

戦争をエスカレートするのはどちらか/鶴岡路人

 全体としては大いに賛同できる内容である。しかし――だからこそ――このテクスト自体が『不用意な語り』になってしまっていることが、もどかしく感じてならない。
 ロシアによるナラティブについての鶴岡氏のナラティブが、筆者には、ロシアを利するように思えるのだ。

 末尾には“これ以上の議論は別稿に譲りたいが〜”とあるので、なんらかの補足やエクスキューズが別稿にあるのかも知れないが、これは分けちゃダメではないだろうか。

2)ナラティブの力を語る

 筆者が強く引っかかりを覚えたのは次の一文である。

(南部において住民投票→独立→強制併合と突き進んだとしても、国際法がそこを正当なロシア領と認めることはないという指摘に続けて)

 しかし問題は国際法上の解釈ではなく、ロシアの主張が実態としてどのように受容されるか、つまり、戦争の語られ方に変化が生じるか否かである。

同上

 『国際法上の解釈』もまた、この戦争に対する『語り』のひとつだ。それだけでナラティブ全体を規定することはできないまでも、有力な一部ではあるはずだ。“国際法上の解釈ではなく”などと軽々しく除外して良いものではないだろう。
 この引用部は、『空気ナラティブ作り・ウォーにさえ勝てば国際法なんか無視だ』というロシアの態度を追認する語りナラティブになってはいないか。本当にそれで良いのだろうか?

 冒頭で断った通り筆者の知識は限定的で、国際安全保障についてなど基礎も覚束ない。ナラティブ>国際法上の解釈という図式がロシアに利するものでないなら、単に筆者の考え違いだ。

 逆に、極端な原則論で考えてみよう。現実味は薄いかも知れないが、道義的には――

  1. そもそも領土支配の正統性が国際世論なんてふわふわしたものに左右される方がおかしい

  2. それよりはまだ、事前の取決め等に従う『国際法上の解釈』の方が妥当な基準だろう。

  3. 仮に今後、親ロシア的な国際世論が支配的になったとしても、国際法上ウクライナ領土だと認められるなら、そこは揺るがずウクライナ領土だ。故にナラティブ・ウォーなんて大した問題ではない

このような考えも成り立つ。
 そして鶴岡氏の語りよりは親ウクライナ的だと信じるし、国際協調や安全保障の面からもメリットはあるはずだ(領有の正統性がふらふら揺らぐ方が危なっかしく思える)。

 ロシアの暴発の危険性といった、戦争のリアルを前には吹けば飛ぶような正しさかも知れないが。そこを詳しく検討する能力が無いので強くは推さないが。

結び

 筆者による本稿も鶴岡氏によるテクストも、ナラティブには違いない。大きさはまるで違うが影響力を持っている。

 『戦争をエスカレートするのは〜』は、一般に語られるウクライナ情勢についてのナラティブがウクライナに抑圧的に働く懸念を述べたものであり、そのような効果を再生産しないように書かれている。
 しかし同時に、このテクストはナラティブ・ウォーの重要性を前提としているせいで、〈ロシアに操作されるナラティブなんかより、先に攻め込んだというファクトや国際法を重視し続ける〉という態度を弱めてしまう。そのような効果に無自覚なのか、あるいは後者を軽視しているのかは不明だが。

 「ロシアがナラティブ・ウォーによってウクライナの反撃を阻もうとしている」まではロシア側の考え方についての分析だが、議論はそちらへ進めてしまうと、「つまりナラティブ・ウォーに勝てば国際法上の解釈など無力であり、ロシアのやり方は実に効果的だ」という評価が不可避的についてきてしまうのである。
 それだってロシアの思う壺では?

筆者によるパロディ

誰もが“それ”を恐れて言った
強い力だ、迂闊に触れるな
それは間違いではなかったが
囁くごとに力は増した

以上

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