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優れた実践者から学ぶ

 子どもにとって,運動とは何か,この時期になぜ,この運動が必要なのか。教師自身が,それぞれ科学的裏付けを持ち,実践し,そして各自がカリキュラムを作れるようにならなければならない。これは大変難しいが,半面,やりがいのあることでもある。それだけにいいかげんなことは許されない。きびしい専門性も課せられたといってよい。その点においては,ベテランも新卒者も同じなのである。
 そのためには「子ども」とは何かをまず知ることである。そのために経験では浅いので「子ども」に関する専門書(あらゆる分野)を読むことと,授業にあたっても,生活にあたっても,常に教師自信が創意工夫して伸びゆく姿勢を持つことが必要である。
山本貞美(1983)「若い体育の先生に」黎明書房

自分が「ハッ」とさせられた一文でした。
この一文から、教材研究の観。そして、教師が学び続けなければならない理由を考えさせられました。


① 教材研究の観の変化

1~4年目 一時間の授業のみで考える。
5~6年目 単元全体で考える。

恥ずかしながら、私が単元全体でどの教科も教材研究を行うようになったのは、教員5年目になってからです。

そして、山本貞美先生の本を読んで「なぜ、この教材がこの時期に位置付けられているのか?」「この教材を通して、どのような子どもに育ってほしいか?」と考えられるようになったことです。

こういった視点を持つことで、さらに教材研究は難しくなるなと思います。しかし、ここまで深く教材を研究をすることで、実際に指導する場面で目の前の子どもたちの見方が変わってくるのではないかと思います。


② 教師が学び続けなければならない理由

 よろこびの人は、子どもらのための小さき太陽である。明るさを頒ち、温かみを伝え、声明を力づけ、生長を育てる。見よ、その傍に立つ子どもらの顔の、熙々として輝き映ゆるを。和やかなる生の幸福感を受け充ち溢れて居るのを。
 これに反し、不平不満の人ほど、子どもの傍にあって有毒なものはない。その心は必ずや額を険しからしめ、目をとげとげしからしめ、言葉をあらあらしからしめる、これほど子どもの柔らかき性情を傷つけるものはない。
倉橋惣三(1936)「育ての心<上>」フレーベル館

この倉橋惣三氏の言葉から、教師の行動、感じ方や考え方は子どもに影響するのだと考えさせられました。


私は、「気」というのは本当にあると思っています。私の師匠も「気」を非常に大切にしています。

努力していない人が努力している人に適わないのは、「気」が違うからです。
努力している人は、ぶれない「気」を持っているんだと思います。

子どもたちに向けて、しっかり言葉が届けられる人は、自分も子どもたちに伝えていることを実践していると思います。
つまり、子どもたちって相手の「気」を感じ取れるんだと思っています。


教師してではなく、人としての「あり方」を大切にしていきたいと思います。



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