見出し画像

何かを得るために、何かを失う【車を通じてわかったこと】

自動車ライターをしていて、常日頃思うことがあります。
それは、「何か」を得るために、「何か」を失うこと。
いい換えると、「目的」を達成するためには、「犠牲」になるものがあります。

例えば、料理で言えば、「本格的なおかず(目的)」を作るためには、「手間(犠牲)」が必要になるという事。

本格的な調理

自動車においては、快適性を重視すれば、機敏でスポーティーな動きが犠牲になるといった話。

日常生活では、極めて当たり前のことが、車になるとなぜ通じない人が多いのか考えてみました。
角にあたって特に気を付けたことは、自動車に興味が無くても、日常よくあるケースで考えてみました。

車は謎に包まれている

中身の見えない自動車の図

一般の人にとって、車の構造を理解している人や、部品ごとの役割を正確に理解している人はどれくらいいるのでしょうか。
今まで自動車の話をする中で、出会った人の9割近くは、何故車が動いているか分からない人が多かったというのが現実です。

特に現代の車は、機械だけでなく、電子制御も理解していないと、真の自動車の構造を理解できません。
エンジニアでさえ勉強しなければ、置いていかれてしまう技術を、一般の人が理解するのは、極めて難しいことだと思います。

そういう意味で、自動車の真の姿は、一般人にとってブラックボックスに包まれているようなものと言えるのではないでしょうか。

分からないと、諦めてしまう

挫折

一般人にとって、ブラックボックスとなっていると感じる自動車に対して、どういう感情が湧くのか考えてみました。

ここで、2通りの人がでてくると仮説しました。
①調べて理解しようとする人
②訳も分からず、諦めてしまう人

①の調べようとする人は、仕事で知識が必要な人や、趣味の嗜好が強い人なのではないでしょうか。
②の諦めてしまう人は、分からない、自分で調べても判断できない、誰かのサポートが必要となる人、と考えるのが自然でしょう。

この差が生まれる理由を考える

では、どうして①と②のような人が生まれてしまうのか考えてみることにします。
結論からいえば、想像力がどれほど正確に描けるかの差が、この2通りに分かれる原因と考えました。

想像力

冒頭の例えで、料理の話をしましたが、家庭料理と本格的な料理の差は、食材や調理の理解度の差、道具の違い、細かな調味料の使い方の差といえます。

例えば、値段が高いから食材がいいのだろうとか、この人の作る料理は凄いと聞いたことがあるなどが、日常よくあることだと思います。

その事が、ぼんやりとでも想像できるので、同じ料理に値段の違いがあったとしても、家庭で食べるならこれで十分と納得ができたりするのではないでしょうか。

この想像力が、自動車ではできない人が、多くを占めているせいで、自動車業界では、諦めてしまう人が多くなるのだと思います。

自動車に対する悩みと、想像力

自動車は、さまざまな消耗品で構成されています。
例えば、タイヤ、ブレーキ、オイルなど代表的です。

同じものに交換するのであれば、自動車の状態はある程度元に戻ります。
ある程度というのは、保管状態や走行距離による劣化があるので、新車の状態には戻らないというだけで、その状態に近づくのは紛れもない事実です。

この考え方は、大きな悩みも無く、そのまま車に乗ることができます。
自動車のことをよく理解している人や、車に関して全く知識のない人の多くはこの考え方をしていると言っていいでしょう。

ただし、自動車をよく知っていてこの判断をすることと、訳も分からず同じ行動をした人では、満足感が大きく異なっています。

自動車の維持にかけるお金の使い方

それは、「自動車をよく知っている人は、想像通りの結果を得ることができた」と感じて、「よく理解していない人は、一定の満足感があるものの、メンテナンスにお金がかかった」と感じる差があるからだと考えられます。

料理の例えをはさみますが、目の前に1200円のエビチリがあった時に、「エビチリを食べなれていて想像通りの味と価格で満足」だったか、「レトルトのエビチリと、中華料理屋のエビチリの差が分からないまま食べ、1200円支払う」のか、くらいの差です。

この差が、同じものでなくても、安い物であればいいのでは?といった考え方に繋がって、どれにすればいいか悩む真の原因ではないでしょうか。

自分好みにすることとは、対価を支払うということ

積める荷物を増やすためのキャリア

自動車には、改造、カスタム、チューニングをし自分の好みにするという、欲を満たす行為があります。目的は、サーキットのタイムを縮めたいというものから、快適に乗りたい、好みの見た目にしたいとさまざまです。

メンテナンスコストを抑えるという目的や、乗り心地を重視するという目的などもそのひとつで、純正以外のものを使用するということは、日常でも多々あり、自身が知らず知らずのうちに、車をカスタマイズしようとしている事になります。

その時に考えなければならないのは、何かを得るためには、何かを失うということで、対価を支払うという事です。

極端な例えですが、キャンプやアウトドアが好きなので、積載量を増やすために、ルーフキャリアなどを付けたりする場合を考えます。

今の自動車は、燃費向上のため、軽量化や、空気抵抗を強く意識しています。したがって、ルーフキャリアを付けることは、「燃費」を犠牲にして、「積載量」を増やしているということです。

荷物をたくさん積めるようにするメリットを得るために、重量増や、空気抵抗による燃費の悪化という対価を支払った例となります。

これを知って、日常の景色が変った

日常の生活の中で、同じような商品なのに、値段が違うということは多々あります。そして、その値段になるまでに、どんな事があったのか、どんな背景があるのか考えるようになりました。

同じに見えて、みんな違う

私の場合は、今まで、「分からないから、使わないから」、「知らなくていい、誰かに聞けばいい」と思っていた部分に関しても、興味関心がでて、調べることが苦にならなくなりました。

知識は身を助けるという言葉がありますが、その知識は、興味関心から広がっていくのだなと、改めて痛感しました。

そして、「知識」を得るために、「調べる」という時間や労力という対価を払っていることにも気づきました。
それを調べる価値の有無という話もありまが、興味関心があれば時間を作って調べるでしょうし、目的を達成した満足感を得ることもできると思います。

淡々と過ごす日常に飽きたら、少し視点を変えてみるのも良いかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?