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ベイブリッジを時系列で並べてみた

レインボーブリッジや、ベイブリッジは、首都高の中では比較的新しい橋です。

とはいえ、ベイブリッジの開通は1989年(平成元年)で、およそ40年の歳月が経過しています。ちなみにレインボーブリッジは、およそ30年。詳しくはコチラ→https://note.com/tk104/n/nb184b830163a(レインボーブリッジを時系列で並べてみた)

ベイブリッジは、横浜の環状高速の一端を担う形になっていて、道路図では大黒ふ頭から、新山下の間に設置されています。

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それでは、大黒ふ頭周辺がどのように発展していったか見ていきましょう。

もともと、横浜周辺の港は貿易港や、軍港として運用された歴史があり、長い歴史があります。

例えば、東神奈川の瑞穂ふ頭は、今も米軍の指令基地があったり、鶴見には燃料を取り扱う基地があったり、鉄道運輸が盛んだったころの名残も感じられる施設が多くあり、横浜線沿線、鶴見線沿線、今は無い高島線沿線、国道16号沿線などでは歴史を感じます。

ちなみに大黒ふ頭は比較的新しいふ頭で、1971年に工事が着工しています。

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※国土地理院より(1974年から1978年)

赤レンガ倉庫周辺には線路が張り巡らされ、今の観光地のような雰囲気は無ありません。山下ふ頭や、本牧ふ頭もほぼ現在と変わらぬ形で機能しています。また、横浜駅、東神奈川駅側の、内山ふ頭、瑞穂ふ頭、出田町ふ頭も、今もこの形です。

また、出田町ふ頭の付近の地名が、浦島という地名で、諸説ある浦島伝説(浦島太郎のあの話)と関りがある地域ともいわれています。

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※国土地理院より(1988年から1990年)

レインボーブリッジの工事中ですね。1989年開通ということを考えれば1988年頃の写真と思われます。当時はまだ大洋時代の横浜スタジアムや、横浜駅東口から、高島周辺の大規模な埋め立て工事が進んでいます。

赤レンガ倉庫は、相変わらず倉庫街として機能しています。

画像右側の大黒ふ頭には、あのループが完成していますが、1点気づきたい点があります。

東京方面に湾岸線がつながっていないということです。この当時の湾岸線は、大井南(大井南)の東海JCTまでで、その先はK1・横羽線でのみつながっていました。

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※国土地理院より2007年

1994年に鶴見つばさ橋が完成し、湾岸線が東京都とつながるようになります。この頃になると、赤レンガ周辺の線路が無くなり、倉庫の機能から観光地へとなる変換点を迎えた後になります。

2020年現在と比べると、変化点はあるものの、ふ頭としての役割から概ね大きく変化した後の状態です。

※当時の横浜博覧会 臨港線前面展望

今とは、雰囲気が圧倒的にちがいますね。このベイブリッジの完成によって、横浜駅の渋滞が緩和されたとされます。

というのも、倉庫や物流の要となる港だけに、そのトラックの台数は多く、繁華街の横浜主変をわざわざ通り抜けるルートではなく、直接東京方面へと向かいたかったがために作られた、産業路線だからです。

昔から、東京-横浜の物流に関しては強く意識されていました。日本初の新橋-桜木町の電車の敷設といったことも関係があるでしょう。

そのためか、横浜周辺の道路整備は、東京方面を中心に開発がされ、朝比奈峠や、湘南・鎌倉方面は昔ながらの街道があるものの、米軍の土地がある、山があるなどの理由で、西側へ向かう整備が遅れていた背景があります。

近年の、保土ヶ谷バイパスと並走するK7・横浜北線の開通や、圏央道の計画など、やっと整備の成果がでるようになってきました。

旧街道は、雰囲気がありいい道路ではありますが、観光客の渋滞が、地元住人の生活に影響を及ぼす等といわれ、道路としては散々だったものが、解決されつつある段階です。

これが、横浜周辺が混雑する理由そのものでもありますが、今の横浜の渋滞を解決するための第一歩が、ベイブリッジだったのです。

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