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主人公を羨ましいと思う。ーカツセマサヒコ『明け方の若者たち』を読んでー

■『明け方の若者たち』を手にとったきっかけ

出版業界の片隅で働いている。

年に数回誘われる合コンや久々に会う友達に詳しく仕事を説明すると「最近読んで面白かった本は〜?」「オススメは〜?」「本のこと何でも知ってるんでしょう〜?」とか聞かれる。でも紹介した本を誰一人として読んではくれないし、ましてや感想なんて教えてくれない。

そもそも面白い本を紹介するのはおこがましい話なのかもしれない。年間およそ7万冊、月にすれば5000冊近く、1日にすればおおよそ400冊の新刊が出ている。社会人になってから私の年間平均読書冊数は60〜70冊。ほとんど読んでないに等しい。

しかも誰にだって趣味・嗜好があって黙っていれば似たようなジャンルを買ってしまう。だからこそ私は周りからオススメされた本はなるべく買って、感想を伝えるようにしている。自分の読書経験が蓄積されていく気がするからだ。

先日同じ部署で働く後輩の女性社員に「○○さん、私この本の著者のファンで、最近初めての小説を書いたんですよ」と教えてもらったのが、カツセマサヒコさんが書いた『明け方の若者たち』だった。

https://www.e-hon.ne.jp/bec/SP/SA/Detail?refShinCode=0100000000000034077516&Action_id=121&Sza_id=A0

ある程度の規模の書店であれば、フェア台や文芸コーナーで平積されていたので、存在は知っていた。印象的な表紙、しかも平積されているということはそれなり売れも立っているだろうし、重版もかかっているんだろうなという推測は立った。

それでも買ってまで読もうと思わなかった。気になる映画原作でもない限り、滅多に恋愛小説(読了して気付くがただの恋愛小説ではない)は読まないからだ。でも信頼している社員からオススメされたら読むしかないと思い、平積から1冊手に取り、レジへ向かったのだった。

■人生のマジックアワー

あらすじ

明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江の島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、“こんなハズじゃなかった人生”に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。高円寺の深夜の公園と親友だけが、救いだったあの頃。それでも、振り返れば全てが美しい。人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

「人生のマジックアワー」というのが今作の大きなテーマである。

時間はあるが、金が無い大学生。自由に使える金は多少持てても、時間がない社会人。でも大学卒業後、入社直後、社会人1,2年目の23,24歳の頃は給料は貰える、責任のある仕事はない、それなりに休める、オールしても1日乗り切れ体力がある。結婚はまだ現実的ではない。何でもできるのである。

主人公は一人の女性を心から愛し、彼女と下北沢のサイゼリヤの安酒で酔っ払いラブホテルに行くし(ここの描写が個人的にはかなり好き)、IKEAでセックスのときのことを考えながらマットレスの柔らかさについて話す。

心を許せる唯一の会社の同期とは高円寺で23時頃まで飲んでいるし、公園でやりたいアイデアを二人でブレストしながら缶ビール片手に語り合う。夢とか希望とか現実を突きつけられる会社では話せないことを語り合う。

■理想と現実の狭間

しかし、現実はそう簡単ではない。

主人公は仕事では希望していたクリエイティブな業務が出来る部署ではなく、言われたことを当たり前にこなすのが当たり前の総務部に配属になってしまう。何度もセックスをし、愛した彼女からは別れを告げられ、仕事に行けないほど落ち込んでしまう。

主人公の親友は上司に苦しみ、深夜まで働かざるを得ず結局転職という道を選ぶ。就職が決まった直後は「勝ち組」と自称していたネットワークビジネスに手を出す大学の友達も出てくる。

これは私も含めて多くの社会人が経験する理想と現実の狭間だと思う。「こういう仕事がしたい」と思って入社した会社でそれが出来る人は一握り。特に私も含めてサラリーマンとして生活していればなおさら。

ここで主人公のように組織の中でやりたいことに近づいていくやり方もあるし、親友のように組織を飛び出すというやり方もある。人それぞれなのだと思う。そしてその決断を誰も責めることはできない。だからこそ二人は親友と呼べるし、連絡も出来る。

主人公は仕事だけでなく、仕事以上に大切な彼女を上述のように失った。みんな理想と現実の狭間で生きている。

■主人公を羨ましいと思う

この小説は「人生のマジックアワー」を通り過ぎた後、回顧する形を取りながら、その当時を描いている。だから過去形と現在形を行ったり来たりしている。

そんな「人生のマジックアワー」を経験し、「理想と現実の狭間」をより深いところで過ごした彼らを心から羨ましいと思う。

社会人になってこの人いいな、付き合えたらいいなと思った人はいたけれど、告白もせず、その人に彼氏が出来たと聞いてちょっとショックを受けても、いつも通りに出社していつも通りに仕事をこなしていた。

「電車の中でスマホではなく文庫や雑誌、書籍を広げる社会を作りたい」と話した最終面接。それでも入社してから4年目。彼らのような仕事への強い不満はないし、今の仕事にそれなりに満足もしてしまっている。

あまり酒が強くないことも手伝ってオールなんてしなかったし、飲み会に行っても次の日の仕事が頭をよぎるし、好きな人に彼氏が出来てもちょっとのショックで仕事をこなせたし、仕事への強い不満もない。私には彼らのような「人生のマジックアワー」と呼ばれる時期を過ごしたとは言えない。

もちろん共感できることもある。でも数年後、20代の終わりに入社当時の「人生のマジックアワー」を振り返ったときにきっと私は後悔をするのだと思う。ふと思い出す人もいないのだから。

そんなほんの一瞬の共感と多くの後悔を強く抱いた小説だった。

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