0.という僕の位置 ──amazarashiと僕の希死念慮について
「どうにかなるさ」ってのは他人ではなく自分に使うもので、
僕が「どうにかなるさ」って言える、僕にとっての1が見つかりますように。
ロックバンド「amazarashi」のボーカル、作詞の秋田さんは新曲「1.0」でこう言ってくれた。
いちロックバンドを取り立てて語るのはあまりにも俗物的かもしれない。
しかし、僕は秋田さん含めamazarashiを敬愛している。
中学生の時に出会い、歌詞の意味を分からずとも解ろうと調べ、味わってきた。
今回僕が述べるのは、たらたらとしたamazarashiへのファンレターではなく、その新曲において僕の心境が変わったという報告だ。
さて、音楽を楽しむ際に歌詞の意味を重要視する僕は、圧倒的な言葉の密度を持つamazarashiの曲に強く惹かれている。
同じような気持ちのファンも多いと思う。
知らなかった曲の歌詞を読み解くとその中のメッセージを受けとることが出来て、その度震え、共感と称賛に心を動かしてきた。
しかし今回の新曲はその歌詞と自分とのリンク率が今までの比ではなかった。
この曲の歌詞の大まかな僕なりの解釈を述べるとこうである。
きっとこの世界は0であるか1であるか、その違いでしかなくて、でもその差はすごく大きいもので、0でもないが1にもなりきれないその間をさまよっている者たちへ向けたメッセージ。それは、今小数点をさまよっているあなたの人生の指標や目的、生きる意味になるような「1」を見つけることが望みであるから、どうかそれが見つかりますように、
と願う歌だ。
傲慢なことだが、これは僕のためのメッセージソングだとまで思った。
遠いアーティストの描いた風景に自分を投影するのはなんと侮辱的でおこがましいことであろうかとも思うが、そう感じるに値するほど、これはもう言葉では表現出来ない程に歌詞が僕の人生を掴んできたのだ。
僕は興奮し、これを運命の曲とまで考えた。
余談ではあるがファンの間でこの曲が盛り上がっている理由が、過去のアルバムに遡る。
amazarashiが「あまざらし」という名義で活動していたインディーズ時代、「0.」というミニアルバムを出した。
その後、一曲追加されて全国に流通することになったのが「0.6」というアルバムだ。
また、少し後で出された映像作品は「0.7」という形で発表された。
amazarashiが何を思ってタイトルをつけたかは分からないが、新曲から考察するにこれは、amazarashiはまだ1を見つけていない状態だったのではないかと思われる。
実際その頃の楽曲は最近のように未来を見て明るく励ますような曲ではなく、鬱屈した感情を募らせる歌詞が多いように思える。
amazarashiも0と1の間でもがいていた時期があって、10周年を越え、40歳を越え、武道館も終えた今、ようやく1を見つけ、そこにたどり着いたのではなかろうか。
ここまでが余談で、まるで本編が新曲の解説かのように思えるが僕が伝えたいのはもっと利己的なことである。
僕は最近まで強い希死念慮を抱えていた。
実行する日付を決めていたぐらいに。
その決意は個人的にはすごく堅く、むしろ凝り固まっているぐらいのもので、美しい景色も、楽しかった思い出も、自分で考えた生きてくための言い訳や大切な人の涙でさえももう遅かった。手遅れだと思えた。
死ぬのは怖かったけど、死ぬことは悪いことではないと思っていたし、それで周りに迷惑をかけることよりも自分が楽になれることの方が重要だった。
だけど生き永らえた、生きてしまった、生かされた、失敗して、負けた。
色々あったことはここではおいといて、僕は自分で決めた余命を越して今生きてしまっている。
あれだけ当日まで慌てふためいていた周りの家族、友達、病院のスタッフらは、もうコイツは大丈夫だろうと手放しで喜んだ。
残った僕に残されたのは「あのとき死ななくてよかった」
なんて感情ではなくて、ただひたすらに空虚な数日だった。
今までは日付を決めることで、逆に日付までは生きようという生きる目的を持っていた。
それを越してしまっては、途方もない直線上に置かれたランナー、灯台のない海を彷徨ういかだ、暗闇から誰も起こしてくれない悪夢の中にいる、そんな感覚だった。
そこでamazarashiの新曲の発表情報が入ってきた。
「そうだ、もう何も思わないが、大好きなamazarashiのために、そのためにとりあえず生きよう」
今まで「○○のために生きよう」なんて言葉を目にしたが実際それを経験するなんて思ってもなかった。
本当にそう思ったのだ。
「amazarashiのために生きよう」って。
そしてなんとか息を続けた新曲の発表当日、歌詞を読む。
過去はいつでも消せないから確かに体を蝕んで来るし、未来は見えない恐怖で夜を眠れなくする。
もう何も考えたくない、今だけ生きていたい。
煩わしい対人関係や希望や絶望、善も悪も喜怒哀楽も捨ててただ生きていたい、それなのにどうしてもそう出来ないのが人生で
それを考えると本当にこの通り「ああ、もう無理かもな」って思うのだ。
そうだ、amazarashiはいつも「それでも」なんだ。
いつもそれを持ってくる。
それがバンド名の由来でもあるから。
悲しむ家族や友人の顔も何度も思い浮かべたし、死んではいけない理由も探し尽くした、生きていくための言い訳を探す期間だってずっと探してた、探し続けてた僕は。
あのときバカにされたことや報われなかったこと、誇れなくなったこと、胸をはれなくなったこと、全部含めてもプラスになるような自分に誇れる何か、何か一つでもいいからどうかお願いだから、僕に下さい。
誰か僕を止めてくれってずっと思ってた、止めてほしかった訳じゃない、意味が欲しかった、報われたかった、満足したかった、
そんな1が欲しかった。
それを、見つかりますようにと願ってくれる秋田さんのメッセージ、ないがしろにするわけにもいかない。
僕は、まだ1を見つけられていない。
今の僕はまだ0.だ0.6にもなってないかもしれない。
いつか、いつか僕も1.0にいけたらなって、そう願って、僕は当面の間はamazarashiのために生きます。
それはつまり、少なくともamazarashiは私にとって1であるからです。
歌詞の詳細や曲の雰囲気が知りたい方は是非とも調べて頂ければ幸いである。
大体のアプリでも配信されているのと、YouTubeでもMVが出ているのでそれを見ていただくのもいいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました。
これを読んでいるあなたも、あなたにとっての1がみつかりますように
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