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無職8ヶ月目、念願の仕事が決まったので自分語りをする✌️

仕事が決まりました!
夢だったデザイナー職の仕事を会社勤めでできることになりました!!
(未経験からの挑戦でした✌️)

気がつけば無職も8ヶ月目になっていた。。
最初に仕事を辞めたときは「まあ3〜4ヶ月後には仕事に就いているだろうな〜」と超楽観視していたため、「8ヶ月」という字面だけ見ると自分でも驚く。

でもそんな人生最大の夏休みも、今終わりを迎えようとしている…
正直、めちゃくちゃ寂しい…笑

いや〜、長い弔い合戦でした。
「未経験からデザイナーになる!」みたいな記事は巷に溢れているので、そういうことを書くつもりはなく、ただただ私の自己満足な文章を書いて終わります。

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幼稚園の頃から、私は工作したりイラスト描いたり、「お宝さがし大会」などの企画して催すのが大好きだった。
だいたいいつも、セロハンテープとハサミと紙で欲しいものを作っていた。天てれで紹介されていたハープ(楽器の)に憧れて、ガサガサ音の立てるそれを作ったりするのが好きだった。

小学校4年生の頃はファッションに目覚め、「ファッションデザイナーになりたい」という作文を書いて賞をもらったこともあった。
進研ゼミで貯まったポイントで、マンガ家セットを申し込み、漫画を描いていたりした。トーン貼りとか、めっちゃ憧れだったんだよね…。

中学生になる頃には音楽に目覚め、その頃は特にスピッツが大好きだった。
音楽もさることながら、CDジャケットが本当に好きで、缶ペンにはスピッツの歌詞と、詩の世界観をイメージした画像の切り抜きを貼ってデコレーションしていた。
「グラフィックデザイナーになりたい」と周りに言い、スピッツのCDジャケットを制作している木村豊さんにもツイッターで「どういう進路を歩めば木村さんみたいなジャケットが作れるのか?」と、リプライだかDMだか送ったことがある(子どもって本当に無邪気、今となってはできない笑)。

木村さんは「自分は専門学校に進学したよ」とかなんとかお返事をくださった。こんなクソガキに返信をくださるなんて、なんて優しいこと。今も憧れではあるが、当時は神のように見えていた。
※大学進学して上京した時、木村さんのトークショーが開催されて参加した。遠巻きながら御本人を見て、神が実在するのだと超感動した。周りの参加者は美大生ばかりで羨ましかった…

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小さい頃からモノづくりが好きだった私。ずっと「なんちゃらデザイナー」になれば、モノづくりができるのだと思っていた。
だから、高校生になったときも漠然と「美大に行けばいいのかな」と思った。木村さんは専門学校に進学したと言っていたため、自分もその手の進路を考えたりもした。

けど、自分で言うのも憚られるが、私の家はみんな学歴がそこそこ良く、「学力以外のなにかを使って進学する」ことを希望することは、漠然と親を悲しませると感じていた。(自分が学力以外の何かで突出しているわけではない、という自覚も多分にあった)

それに、私立の大学や専門学校はお金がかかる。兄弟はみんな国立大学に進学した。両親はこれまで、お金に関して何不自由なく育ててくれていたが、私が高校生の頃、祖父母の病気などいろいろな家庭問題が同時に複数勃発し、親がお金をやりくりしていたのを気づいていた。親は、私にはそれを見せないようにしていた気もするが、なんとなく気づいてしまった。
あの頃の家は、毎日通夜のようだったなと思う。母がよく隠れて泣いていた。私は母を守らなければ、と思った。
そんな状況で、美大に行きたがるのは、もっと親を悲しませると思った。
当時画塾に通っていたが、デッサンもくっそ下手くそだったし、楽しくないし(笑)、画塾に通うのも結構お金がかかる。

でも、普通大学に行けば、塾に通わずにそこそこの大学に進学できて、お金もかからない。ある日職員室で、数学教師に「その学力で美大に行こうとするのはもったいない」と言われて心が折れた。
人にとやかく言われてぐらつく程度の意思ならば、どうせ美大には受からない。親にお金の負担をさせてまでやりたいことなのか、正直わからない。そうやってなし崩し的に「なんちゃらデザイナー」とか、モノづくりを仕事にして生きていくことは諦めた。

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今思えば、上手くデッサンが描けないのを、家庭事情のせいにして諦めただけでは?と思ったりもするし、そういう要素も0ではないとは思うんだけど。
でも、この頃の家の陰惨な空気は…とてもじゃないけど、他人には決して言えなかったんだよね。あの状況で「自分、美大に行きたいぜ!」って、無神経な子どもに育たなければ無理だったと思う。ましてや自分の性格を鑑みれば、もっと無理な話なわけで。

仕事を辞める時、大嫌いな上司と面談しなければならなかった。今思えば退職理由について、テキトーに嘘を言えば済んだ話だが、私は正直に「子どもの頃から私はモノづくりを仕事にしたかったんです。大学も美大に行きたいと思っていたぐらいです。だから今の仕事は辞めます」と話してしまった。

そうしたら「大学進学で失敗したやつが、今更できると思うなよ」みたいなことを言われた。

私の怒りって大体、時間が経ってから「あれって腹立つよな…」と思い出すタイプ。それに、上司には一度も歯向かったことがなかった。

でも、面談のときだけは心底腹が立って、瞬時に「家庭の事情とか含めて大学進学しなかったことを、そういうふうに言われるのは心外です。自分だけで決められることならまだしも、家族の状況とかそういうの含めて決めた進路ですので」と噛みついたことがあった。ざまあって思うねw

あいつには今でも本当に地獄に落ちてほしいなと心の底から願っているし、一生孤独なまま死んでいってほしいなと思います。面談の時、上司が結婚できなさそうなこととか言われたんだけど、まじでどうでもよすぎですよね?そのまま孤独なまま人生終えて行けやって未だに思いますね。(ひろゆきボイスで再生中)

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なんか話それたな。
専門学校に通うお金も、過労死になりかけながら貯めたお金で、自分でまかないました。
無職8ヶ月分のお金も、失業手当と貯金でどうにかしました。
この度の転職において、親からお金を支援してもらわずに済んだのは、高校生時代の悲しそうな顔をしている自分を慰めるためには十分だったなと思うわけです。

今はとりあえず100万くらい貯金して、ずっと進路を応援してくれていた親を海外旅行に連れていきたいな〜と計画してます。
(ちなみにスクールの通学費用は100万くらい、うち20万は国の補助もらいましたが、未経験からデザイナーなるんだったら、スクール以外の選択肢もちゃんと調べておいたほうが良かったかもなと通った結果思いましたw 私は仲の良い人たちができたので、それはそれで良しとしてるけど)

なんか長くなってきたし、今日はこの辺にしておこう〜〜✌️
私だけなのかな?長年の夢がようやくかなったのに、あまり高揚感がないです。内定承諾したその日ぐらいで高揚感は終わった笑

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