カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」>> 愛によって結ばれているという二人の中に、私たち船頭は愛でなく恨みや怒り、ときには憎しみすら見ることがあります。あるいは、大いなる不毛とかね。ときには孤独への恐怖だけがあって、それ以外には何もなかったりします。
スガシカオ「クライマックス」>> どんな悲しみだって忘れてしまうというけど どんなにくしみだって いつか許せるかな ぼくがぼくであるために明日がありますように
太宰治「葉」 >> 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
今日はどでかいミモザを買っておうちへ帰った💐 そして家に着くと、好きなデザイナーさんのポスターも届いてたのでさっそく額にいれて飾った😌 気持ちほくほく〜〜〜
「自分を大切に」と言われても、どうやるんだっけな?とたまに分からなくなる。最近は花粉が辛い。薬買おうかな、でも花粉の薬って結構高いんだよな、あれこれ考えているうちに「黙って薬買って、少しでも不快を無くすことが、自分を大切にすることなんじゃねえか」と思い出し、目薬を買った昼下がり。
落ち込むとご飯も睡眠もかなぐり捨ててしまう自分がいる。そんなことに時間割いてる暇があるなら手と頭を動かさないと、と。でもそれって結局、自分の負の感情に浸りたくないだけなんだよね。こうなったらとことん負の感情に浸る以外ないんだよね。ということで食欲ないけどラーメン食べましたとさ。
昔医者に休職しな、と言われ、医者以外にも休む決断を後押ししてくれる人が欲しいと期待した私が悪いが、知人に話したら「あんたの部署、休職したことある人いないから周りの人が大変だね」と言われた。以降人に相談するのをやめた☆ミ だからせめて、自分本位なこと言う人間にはなりたくないよナ…
基本的に相手の求める答えじゃなく、自分のことを正直に伝えるように生きたいけど、友達が辛そうにしていたら、やっぱり友達がかけて欲しい言葉をかける、言ってほしくないことは言わないようにしたい。この数年私自身辛いことが多すぎたから、みんなには死んでほしくないと思ってしまう、、難
人に何かを言われてイラッとするとき、実はその相手にイラッとしているだけじゃなく、「この人にこんなことを言われてしまう自分」という感じで、自分にもイラッを向けていることが多いような気がしている。自分を責めない、事実だけ受け止める。。。
とはいえ不安を感じるというのは前進しているということでもある。✊
少しずつだけど不安を感じる時間が増えてきた。笑 原因と対策を考えると、転職するにあたり「現状の自分はどのくらいのレベルなんだろう?」が分からないことに起因してそう。 出来たら来月頭には一回エージェントとか学校で面談してもらって早めに現状把握したほうがいいな〜。
ニートでも、生きてたらイラッとすることも落ち込むこともあるんだな、 今の私はなんの役割もない、生身の私という人間なので、湧き上がる感情の一つ一つが生々しく、人間らしく、何より生きてる〜〜〜ということを実感する。 は〜、美味しいご飯食べながら痩せて可愛くなりてぇ〜。
noteを続けて気づいたのは、連休明け前の夜はいつまで経っても心がざわざわするということだな。強弱はあるにせよ、なくなることに期待せず、このざわざわとゆるく長く付き合っていくかぁ…。この感情に名前をつけて可愛がってやるか…。YAZAWA?
東京でもこの時間は鈴虫とかカエルの声する。実家みたい。早くお母さんに会いたい。つらいぜ…。帰る家があるって良いな。温かい家族で良かった。
自分にとって、こうして自分の気持ちをとりとめもなくサラサラ書いていくの、意外とコーピングになってるんだなっていう気づき。何か抱えているときこそ人に話したくなる、でも話せないから吐き出すみたいな。さあ寝よう、寝ている間は誰にも邪魔されない、唯一無二の私だけの時間…
朝→起きれない無理死ぬ地獄 昼→mtgざんまい、ぼーっとしてる 定時後→疲れ切ってる 深夜→脳みそ覚醒、何でも仕事片せる自信みなぎる 寝る直前→ものすごい勢いで死にたい気持ちになる(いまここ) を、毎日繰り返してるゥ( ˘ω˘)スヤァ