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自分のHSSな部分を捨ててぇ〜と思うとき

無職ですが、最近は社会とのつながりが復活してきました。

就活での面接、バイトのタスク(バイトというとライトだが、まあ普通のサラリーマンみたいに折衝やプロマネをしている)などなど・・・。

「代表取締役」「取締役」「デザイン室リーダー」みたいな肩書の人とばかり話します。人って肩書があるだけで、どうしてこうも萎縮してしまうんだろうか。
前職だと、取締役以上のレイヤーの人には秘書がいて、直接DMやスケジュール調整など絶対NGであった。そういう文化で育った故、今こうして直接日程調整などしていることにすら緊張感を覚える。。

私はすごく緊張しいで、ビビリで、あんまり人を信用しておらず、仕事で成果を出しても自分に自信がなくて、満員電車のおっさんのにおいとか、晴れの日の太陽の眩しさとか、真夜中の騒音が苦手である。

それなのに自分は今まで、チームを引っ張ったり、プレゼンしたり、ファシリしたり、とにかく人前に立って仕事を仕切ることが多かった。

前職へ就職する前の内定者時代、役員やリーダー陣へチームでプレゼンするという謎の機会があった。みんなは読み原稿を手元に持ち、おゆうぎ会のように、順番こで原稿どおりに読み上げていた。
それなのに私は、「そんなのプレゼンじゃねえ」といって、5分ほどの原稿を丸暗記し一人で語り、身振り手振りを添え、会場への問いかけをし、そうして「ジョブススピーチ」を成し遂げたのであった。

若かりし頃はとにかくもうなんでも、興味のあるものは全部やりたかった。中途半端な自分を許せなかった。常に完璧でいたかった。何より、そういう自分でなければ、誰からも必要とされないという恐れもあった。
だから私のHSSな部分は、どちらかというと後天的に生み出されたものであった。

後天的なものだと気づいてからは、自分のこのHSSエンジンを肩から下ろして生きていきたいな、と思うのである。
でも体に染み付いたこの立ち振舞は、なかなか消えないのである。

社会的な活動量が戻ってきて、偉い人と話したり、ファシったりするのは、HSSエンジンを下ろしたい自分からすると、緊張することだし、逃げ出したくなる。
だけど、染み付いてしまっている故に、第三者から見た私は「うまくやってる」というふうに写るらしい。
だから、「緊張するから嫌なんですが…」と断ろうとしても、「え、緊張して見えないんだが…」と言われ、聞き入れてもらえない。
(そもそも、YESマンの気質も自分にこびりついているし)


今日も偉い人と話す前に、もう心臓バックバクで「あー、いっそ先方がアポブッチしてくんねえかな〜」とずっと思っていた。(が、結局時間通りに先方が来てしまった)

どのエンジンの自分で生きていこうか、結構悩みどころなのである。


先のジョブススピーチを覚えている会社の人からは、たまにお褒めの言葉を頂いていたのだが、会社を辞めるとき、とある先輩(一緒に仕事したことはない)から

「君のすごいのは、本来ああいうスピーチをする性分じゃないのに、人から求められる期待を察知して、性分にかかわらずそれをやり遂げる責任感の強さなのだ」と言ってもらったことがあった。ジーーーーン。

そういう性分じゃないと気づいてもらえただけで良かった。(そこかよ)

これからも、みんなとは言わずとも、そうして気づいてくれる人たちと仕事していけたらいいなあと思う。

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