地方移住を決断するまで

5年間,働いた会社を辞めたのは,虚無感に耐えれなかったからだ。この仕事に何の意味があるのか,誰の何に役立っているのか,そんな疑問を感じながら働くことは虚しかった。

仕事を辞め実家に戻った。早朝にスーパーで品出しのパートをし,午後は読書という生活を送った。コロナ禍の影響もあり,こんな生活を2年半も続けていた。品出しの仕事は,達成感や誰かの役にたっている実感があり楽しかった。どうやら,私にとっての報酬は,お金ではなく,達成感や有能感といった感情なんだと気づいた。

では,達成感や有能感を感じられる状況ってどうやって作れるんだろう。その答えは,DIYの精神だと思っている。自分でやってみる,ということだ。調べてみると,世の中には,自分で野菜を自給自足している人(R)や,自分で風力発電機を作った人(R)や,自分で家を建てた人(R)がいることがわかった。私もやってみようと思い,家庭菜園をはじめた。

そんなおりの今年2月ころ,父の実家が空き家になるという情報を得た。これまで貸していた人が3月に出ていくという。これは,朗報。その家に住めれば,いろいろなことが実践できそうだと思った。

問題は,家の状態だった。父は30年近く帰っておらず,家の状態がわからない。隣に住む人から,電話で聞いたところでは,窓ガラスは割れ,床はブヨブヨ,とのこと。とりあえず,移住のことは抜きにして,家の状態の確認と,大きくなりすぎた庭木の確認のため,4月中旬に家族で島根に行った。

私にとっては,初めての島根。飛行機の窓から見える景色は,海から急に森が広がっており,不思議だった。この地は森の支配下にあるようだと感じた。父の家は森と川に近い場所にあった。気になる家の状態は,思っていたほど悪くなかった。たしかに,窓ガラスは割れ,床がブヨブヨの部屋があった。しかし,柱などの構造はしっかりとしていた。これならいけると思い,本格的に移住の検討を始めた。

まず検討したのは,「どうなったら生活が破綻するか」ということ。思いついた状況は以下の3つだった。
・雨漏りや水回りの老朽化により,家がカビだらけで,住むと体調を崩す。
・近所にスーパーやホームセンターがなく,買い物に時間をとられまくる。
・仕事が見つからなくて,金がつきる。

上2つは,下見のときに確認し,問題はなかった。残された問題は,仕事があるかどうか。とりあえず,求人情報を調べたところ,近所のスーパーとホームセンターでパートの求人を発見した。さっそく連絡をとり,現状,採用枠が残っていることを確認した。他にも,市の移住相談窓口に連絡し,仕事のことや現地のことを相談させてもらったりした。その結果,選ばなければ仕事はあることがわかった。これで,移住後の生活がすぐに破綻するという事態にはならなそうだとわかった。

とはいえ,まだまだ不確定要素は多い。たとえば,現地の人と仲良くなれるのか。家の改修費用はどのくらいになるのか。どこまで自分で改修できるのか。庭を畑にできるのか。できなければ農地を借りることができるか。などなど。現地に行かなくてはわからないことがたくさんあった。

最終的な決めては,「元に戻せるか,否か」という問いだった。私は元に戻せる状況にあった。だめなら戻ってこいと言ってくれる両親。全国的に人手不足な最低賃金のパートの身。という状況だ。この状況なら,ダメなら実家に戻り,またパートを見つけるのも大変ではない。一方,定職を持っている人だったらどうか。だめだったとき,また同じポストに戻るのは大変だろう。

そんなわけで,今回の移住の決断に際し,特に悩まなかった。もしダメなら帰れば良い。ダメでも,やったことは財産になるはず。不確定要素は多いが,家で調べられることではない。ならば,現地に飛び込もう。住んでから,どうにかしてやろう。

おわりに

決断には苦労しなかったが,軽い気持ちで移住しているわけではない。私には自分に課しているルールが2つある。
1.自分がされて嫌なことを,他人にしないこと
2.自分の失敗の代償を負うポジションに身を置くこと

である。私は,自分の地元に突然他人が来て,好き勝手やって欲しくない。だから,そんなことしない。周りの人にしっかり相談する。また,自分のやったことが上手く行かない場合,自分が困る状況にする。そうじゃないと,本気になれない。

この2つのルールを胸に,サバイバル生活を送っていく。

おしまい。最後まで読んでくれてありがとう。


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