年を越そうが越すまいが。
何人も自己であることをやめることが出来ません。
夫婦であることや、会社の社長をやめることは出来ますが、自己をやめることはできません。
たとえこの命が終わっても、あなたがあなた自身であることはやめられないのです。
これは、始めも終わりもない永遠の自己の問題なのです。
大峯 顯
今朝は谷原交差点の歩道橋の上まで行って、明日の初日の出撮影の下見をしてきた。
見事に高層マンションやら何やらで遮られてしまって、まったくダメだということが解った。
そんでもって、家に戻り、自室より撮れないものかを探ってみる。
案の定、眼の前の電線、それも極太のやつが景観をぶち壊してくれている。
これがなきゃ、なかなかいい感じで撮れんのになぁ、小さくだけどスカイツリーも入るし。。。
残念😓
写真を趣味にしてみようと思い立って、無謀にも毎朝写真を撮りに行ってFacebookにUPしようと決めてから8年が過ぎ、今年まで毎年石神井公園の初日の出をUPしている。
で、昨日もだが、このコロナ禍のためにどこにもいけないので、近場で気を紛らわせようと、石神井公園は人が賑わっている。
元旦の朝はきっとヒデェ初日の出密になんじゃね?と、今回は石神井公園の初日の出は敬遠して、谷原交差点でと思ったのが甘かった。
春〜夏場あたりだと、わりといい感じで目白通りのむこうに日の出を見ることができたはず、といううろ覚えがあったのだが。。。
やはり、明日はイチかバチかで石神井公園へ撮りに行くしかないな。
クソ寒くなるというので、もしかしたら皆さん敬遠するかも知れないしな。
そんな感じだ。
でもって、今朝も日の出は見ているんだな。
言っちゃえば、日の出は場所によって時間帯も違うわけだし、一枚目と三枚めでは30分の時間差があったりもするし、石神井公園はボート池地域と三宝寺池地域に分かれているのだけれど、今の時期だと、ボート池の方は6時50分過ぎに初日の出が見られて(場所による)。三宝寺池は樹木に覆われ少し低い場所にあるためボート池より1時間弱日の出が遅れる。つまり、7時40分過ぎになる。
だいたい、初日の出にこだわらなければ、冬場は結構日の出見ているな。
7時前にINすると、だいたい日の出に遭う。
元旦だからって、別に気にしなくても、とは思うが、そこはほれ、やっぱ、元旦だし、気持ちの問題ってのがあるし、一昨日書いた「お節はわたしには必要。」の世界と同じなのよね、この8年は。
それまで?
敢えて初日の出を観るために早起きをするなんて酔狂なことはしたことはない。
でも、ねぇ〜〜〜。
もしかしたら誰かが楽しみにしてくれているじゃないか、というスケベ根性が捨てられないのよ😅
オレがやらずに誰がやる!
って、間違った自己主張、自己表現、自己満足。
写真撮るのをやめても、この「note」をやめても、坊さんやめても、どんないいことをしても、どんな悪事をしても、どんなに憎まれても、わたしはわたしであり続けるしかないんだよね。
そこを主張して、そこを表現して、そこに満足する。
そんなふうに成れるか成れないか、という葛藤はちゃんと抱きつつ、それでもこれだけは忘れるなっていうのが「わたしの事実」。
わたしはわたしでしかなく、それ以上でも以下でもなく、いかなる時でも無条件で尊い、というのはすべての命に課せられた事実。
これはわたしの納得とか、科学的証明とか、王様の認定とか、社会的な認識とか、常識とか、倫理とか、法律とか、一切関係のないこと。
誰が言ったかも関係ない。
釈迦が言おうが言うまいが関係ない。
真実ってのはそういうこと。
無有代者
代わる者 有ること無し。
明日もそんなんで、わたしは、何があろうと起きようと、わたしです。
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