人間の意識というのは誤解の意識ですから、「またある」ということを思いますね。
本当は同じことのくり返しはないのですけれども。
武田定光
今日はいろいろありすぎて、「note」を書き忘れていた。
ま、そんな日もあるわな。
その合間合間に色々と考えさせられもしていた。
あれこれと考えさせられたお陰で、頭の中の整理がまったくつかなく、まったくもって何を書いていいのかすら浮かばない。
完全に共用オーバーだ。
じゃぁ、普段はちゃんとできている、許容している、纏まっている?
一度でもわたしの文章を読んでしまった方ならわかるように、普段と変わらないということだ、言っちゃうと。
ただ、普段から纏まらない、すぐアップアップになり、いっぱいいっぱいになっているのだが、そういう人間でも、それを超えることもあるということなんだ。
いつもと変わらない今、という考え自体が間違いだ、ってのが「今日の言葉」。
「いつも」も、「同じ」も、「変わらない」もないよね、本当は。
でも、わたしの中には確実にあるんだな、「また同じだぁ〜、この感じ」ってのが。
それが勘違いだと解っていても、勘違いだとは思えない。
肝心なことは忘れていくのだが・・・。
でもね、人間にとって、忘れるというのは大事なことなんだな。
忘れることで、自己防衛ができることもある。
忘れることで、当り前だと思わないでいられることもある。
忘れることで、つねに説い続けていける。
だから人間は、忘れる。
だから忘れないでいることの大切さを学べる。
忘れないためにどうすればいいのかを考える。
忘れないために、次の世代にまで託す。
忘れっぽいわたしができることは、忘れないためにどうするかを考えることではなくて、「忘れないで」という声に耳を貸すくらいでしかない。
今日はそんな声が、東日本大震災だけではなく、多くの「忘れないで」というわたしを呼び起こす声が聞こえたんだな。
関連性のない、いろいろな「忘れないで」が聞こえ、耳をから向けようとトライしたら、あっという間に許容範囲を超えてパンクした。
これから、耳を傾けて聴いてみた声を、のんびり反芻してみようと思う。
その声についてどうこう考えるのは、今日はしないな。
その声は、間違いなく、耳の奥底に残るだろうから、事あるごとにわたしを問うてくれるだろうから、ただ、今日のところは、改めて聴き直すにとどめておく。
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