見出し画像

分からないから生きていける。

人間は、分からないから不安になるんですが、分かっても安心しないのです。
分かって不安を排除したいのですが、分かったものは、必ず馬鹿にするし、飽きてしまうのです。

            武田定光 


今朝、「今日の一枚」をUPしたあと、何の気無しに、過去の写真、一眼レフカメラを買って、Facebookページに毎朝投稿しだした頃の写真を眺めていた。

今もだけれど、輪をかけて下手だし、重ねて何を撮りたいのかがいまいちわからないのも多いし、それなりにでしかないけれど、まぁ、9年も続けてればちょっとは上達しているのかもなぁ、なんて上から目線で当時の自分の作品を眺めていた。

眺めていると、他人から見たらどうかはしれないが、自分自身の中で気づいた。

なんか、下手だけど、楽しそうだな。

よくわからん葉っぱをとっていたり、ピンぼけ、手ブレ、露出ミス、バリバリの写真であったり、敢えてそうしたのだろうけどまったくそうなっていないピントを外しでぼんやりとした光の写真であったり(ちっとも綺麗でもなんでもないの😂)、なんやかや。

でも、連続して眺めていると、なんか毎日楽しそうに撮っているなぁ、と思えた。

中には、こんなとこに着目してるっていいなぁ。
今では、見えていなくなっているよな、こんな些細な情景。
そんな写真もあった。
くどいけど、上手くもないし、切り取りも変だし、なんか余分なもんが入りすぎてるし、人様に、「見て!」とは言えないもんであることは確かで、でも、着目点だけは今の自分よりかは良い。

本当に突き詰めて、できるようになってからのスランプや伸び悩みならわかるけど、全く未だに写真が趣味です!、なんて声高には言えない、それくらいでしかないのに、何をスランプ、伸び悩みをしてんだよ、それももう何年も。

いかんなぁ〜〜〜。。。

自分の性格は、何でもすぐに分かった気になっちゃうとこが一番の欠点だと思っている。

分かった気になっちゃうんだよね、「なっちゃダメだし、なにひとつ分かっちゃいないんだぞ、できてないんだぞ」、といつも言い聞かせはしているんだけど、どうも聞き分けが悪くて、わかちゃうんだなぁ。

それで、飽きちゃう。

もういいや、となっちゃう。

学ぶの面倒くさくなっちゃう。

いいこと一つもないじゃん、分かった気になっても、出来る気になっても。
その道で、成績だけではなく、人間性や姿勢を含めて評価される人って、どの分野であろうが、いつまでもわからずやで、できない自分を見つけ出し、トコトン自分にこだわっている方が多いと思う。

オレにはそれがどうもできない。

なんでも出来ちゃう、分かっちゃう、そんな勘違いヤローな性格が幸いしたのは人生で一度だけだ。
以前にも書いたけど、演劇をやめたとき。
分かっちゃって、できちゃって、面白みも新鮮味も感じなくなっちゃって、や〜めた、ってやめて、やめてから、なんも分かってもないし、何一つできてなかった事に気づき、ついでに、続けていてもモノになるようなたまでもなかったことにも気づいて、胸をなでおろした。

で、いま、仕事的に言えば坊さんを、そして人間を続けられているのかと言えば、なんも分かってないことに気づけ、っていう宿題を出されているから。

すぐなんでも分かっちゃうわたしにとっては、絶対に届かない世界。

分かってないことが分かる。

いつも書いているけど、
無意味であることの大事に頭が下がる。

こんな宿題が、質問があることに気づいていた、知らないうちに。

それに答えようと必死に意味付けをしようとしている。

無意味に意味付けをしようとする愚行を通らないと、無意味の大事がわからないような気が今はしている。

で、無意味に意味づけなんて矛盾、分かりようもないので、人間やっていけている気がする。

これもなんとなくの感想。
お陰さまで分かっちゃいない。

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?