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One for All

「一人一切人」
人はすぐ世界人類のためとか、日本人民のためとか、人間全体のためとか、そういうわけのわからないようなことばを使うけれども、実は一人の人間への愛情がすべての人間に広がってゆくようでなくてはいけないのです。
世界人類に愛情が広がっていくということは大事なことです。
ただそれが自分のそばにいる一人の人間に、確実に行われていなければ、それは嘘です。

          紀野一義

「一人はみんなのため、
 みんなは一人のため。
 One for all.
 All for one.」

なんてのが、世界ラグビーで流行ったよね。
流行ったと言ったら、ラグビー経験者や昔からのファンには失礼かもしれないけど、その場だけの乗り、流行り廃りのようなところがみえるんだよね、社会を見ていると。

「No side」もね。

感動して、なんか都合よくノリだけで使って、忘れていく。
もったいないよなぁ。

なんで?と、本当に最近思う。

話し合いができない。
言い合いというよりも罵り合い。
討論しかできなくて、会話までもが勝ち負けになっている。

言葉は「形」であり、そのものが「差別」だとしつこく言っているけど、その役割りは「差別」や「戦い」のためにあるのではなく、解り合うためにある。

そりゃさ、時には喧嘩にもなるし、汚い言葉を使ってしまうこともあるし、感情に任せて凶器として使ってしまうことがある。
でも、忘れてはならない。
話をするってのは、言葉を使うというのは、勝ち負けのためでも、傷つける凶器としてのためでもないということを。

いさかいが起きたとしよう。

当然感情が先走ってしまう。
だからこそ対話を、話し合いをするのだよね。
その話し合いの席でも、勝ち負けを目論むヤカラがほとんどだ。
分かり合うことではなくて、どれだけ自分が有利になるか、優位な立場を取れるかが大事になっていやしないか。
損得、勝ち負け、そんな話し合いをしている人間たちを見ると、なんのため?、と哀れに見えてしまうことがある。

大声になったり、感情的になったり、うまく伝えられる言葉がなくて唸って下をむいていたり、めちゃくちゃ口下手だったり、それでも必死に自分の思いを伝えることと相手の思いを理解することを大事にしている、勝負ではなく、分かり合いたいという思いでその場にいる人には、本当に頭が下がる。
なぜ頭が下がるかと言うと、自分自身が実は多くの場合前者のように勝つことを目論んで、自分の都合だけを前面に出して、話し合いの席に臨んでいることが多いと思えるから。

この対話はなんのために行われているのか。
仕事ではなかなかそうもいかないかもしれないが、生活の中での対話は分かり合えるか合えないかだ。

人間に正論なんてもんはないよ。

相手を叩きのめすことに言葉を駆使するなんてヒマなつまらんことはやめたいと思う。
思うんだよね、いつも・・・一応は。

勝ちたければ、負けてくれる人がいなければ成り立たない。
相手になってくれる人がいなければ成り立たない。
人は一人では成り立たない。
相手が、周りが、人々があってようやく成り立つ。

だから、たとえ競う相手であったとしても、相手に対してのリスペクトが必要なのだろう。
独り相撲は部屋で勝手にやればいい。
マスターベーションは観たくもない。

せっかく、ラグビーで盛り上がって、あの言葉いいなぁ〜、と思えたんだから、大切にしよう。
今年の流行語、で終わらせるにゃ〜もったいない。
ラグビー選手だけの特権にするのももったいない。

一人はみんなのために。

一人って、どこかの誰かでも、となりの誰かでもなくて、自分のことだよ。

みんなって、どこかの誰かでなくて、隣の大事な人だよ。
その隣の誰かを大事にできなければ、だれも大事にできない。
No sideは壁がないってことでしょ。
敵も味方も、好きも嫌いも無いってことだよ。
ムカつくけど、倒さなければならない相手だけれど、その存在を否定することはしないって、難しいよね。
だからこういう言葉は大事なんだ、できないからこそ。

マザー・テレサは、ノーベル平和賞を受賞した際に
「世界平和のために私たちは何をしたらいいのか」と質問され

「すぐに帰りなさい。すぐに家に帰って家族を大切にしてください」

と答えられたという。

間近の一人を大事に救うことが、実は世界を救うことにつながるということだろう。
で、この言葉を受けて、今日挙げた「一人一切人」という言葉を受けて、「One for all. All for one」という言葉を受けて思うことは、ここで最終的に救われるべき対象は「わたし」であるということだ。
ここが「だれか」になってしまっては他人事の独りよがりの世界でしか無い。

争いは望まなくても悲しいかな起きる。
それならば、わたしをわたしたらしめているAllと争いを避けるよう努めたい。

すごく単純なことなんだよね。

啀み合って、睨み合って、喧嘩するのが嫌いなだけ。

できれば、できれば、人間嫌いなくせして、争わず平穏に生きていきたい。

いや、人間が嫌いだからこそかな。
争いなんてもんに気を使うなんてまっぴらだ、ってことかも😆

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