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すごいはずなのに。。。

誕 生  鈴木章子

何の自己のはからいもなく
この世界に
産まれさせていただきましたこと
すっかり
忘れておりました

自然のお働きにまかせて
また 誕生すれば
良いだけのこと

単純に血縁だけ考えても

父母は2人
祖父母は4人
曽祖父母は8人

倍・倍・倍

5代前は32人
10代前は1,024人
15代前は3万2768人
20代前は104万8576人
25代前は3355万4432人
27代前は1億3421万7728人
現在の日本の人口を超えました
30代前は10億7374万1824人
31代前は21億4748万3648人
32代前は42億9496万7286人
33代前に85億8993万4592人。
とうとう地球所の現在の総人口を超えました。

浄土真宗の東本願寺門首・西本願寺門主は親鸞の子孫。
門主・門首というのは、管長・座主と同じ感じ。
もう少しわかりやすく言えば、宗派の天皇みたいな立場。
で、東が26代目・西が25代目。
親鸞がおおよそ800年前の人。
単純に計算すると、約30年に一度で代が変わる感じ。
その計算でいくと33代前はおおまかに1000年くらい前になる。

てことは、
1000年前、計算上だけの話だけど、わたしの血液上の先祖は今の地球の人口を遥かに超えるわけだ。
1000年前って、すごい昔の気もするが、延暦寺も金剛峯寺もあったよね。それもすでにできてから200年経っている。
清少納言や紫式部がいたころ。
イエス・キリストはご存知のように2000年前
釈迦は2600年前
そんなふうに考えると、1000年前ってつい最近だ。
キリストや釈迦の頃まで先祖の数を遡ると、もう、天文学的数字になるな。
地球に人類が誕生したのが諸説あるようだが500〜600万年前くらいらしい。
地球上に「いのち」というものが誕生したのが38〜9億年前と言われている。
一人でも欠けていたらわたしはわたしとしてここにいることはない。
一組でも出会いがなければ、別の出会いだったら、わたしはわたしてここにあることはない。

これは、ただたんに血縁というか、ま、「わたし」を産み出した流れの話だけ。

で、そこにいるひとりひとりが飯を食っている。
昨日だけでいい、どれだけのいのちを食べただろうか?
その食べた食材は、どれだけのいのちを食べてきて育ち、食材となったのだろうか。
それが産まれてから今日まで続いてきている。
どれだけのいのちに救われて今があるのだろう。
そういう「わたし」がありえない出会いを繰り返し、次の「わたし」を産み出し、その「わたし」もありえない出会いを・・・これが1000年前からだけで考えても何十億と続いてようやく「わたし」がある。
その間に食されたいのちは、それ以上の数になる。

あと、
人が生きていくには、思いや願いというもの
社会の中でのお陰様的なもの
いろんなあれやこれやがあってようやく育つ。

気づかないところで
車を運転していた人がブレーキをとっさに踏みわたしの命を奪わないでくれていたこともあったかもしれない。
アタマの上に落ちるはずだった植木鉢をとっさの判断で受け止めていてくれたかもしれない。

そんなこんなも生きてりゃある。

その奇跡の集合体が「わたし」だ。

生まれた国や土地なんて関係ない。
肌の色なんて関係ない。

家柄?
笑えるね。
〇〇家は!って言うけど
〇〇家直系の先祖なんてごく一部の少数。
大多数は〇〇家と関係ない人ばっか。
そこ、誇るとこでもなんでもないっしょ。

もとい。

ここにある事自体が奇跡。

それにさ、
増える方にだけ先祖というのをたどっていたけど
地球誕生から、宇宙誕生から考えれば
先祖は皆一緒。
同じとこから出ている。
遺伝子も家系もクソもない。

どのみちすごいよね。

そこに本当は自信を持ちたいんだけどなぁ、本当はね。

そうもいかないのよね。

口では、脳では、屁理屈ではそういうけどさ。

さもしい根性の男だな、と。



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