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生死超え難し

今までは人のことだと思うたに  
 俺が死ぬとはこいつはたまらん 
        大田蜀山人

私たちは無意識のうちに「人は死ぬけれども、自分は死なない」と、死を他人事として生きている。
そうしなければ楽しく生きていけない、という死についての無思想のなかにいる。

             小川一乘


髪を切りに行ってきた。

で、髪を切っている最中、ラジオが流れている。
博多華丸・大吉の大吉さんと相手の方はわからなかったけど、二人で話をしていて、その相手の方がおすすめの本について語っていたようだ。
店に入ってからなので、途中からなので、「ようだ」。
数学のいろいろな疑問を、東大の教授の人がわかりやすく、目からウロコ的なことを書いてくれているので、数学に興味がない、数学苦手意識になってしまったような人間でも面白く思える、というような話だった。

「マイナスとマイナスを掛けるとなんでプラスになるのか、みたいのを、なるほど!、と思える感じで教えてくれている」

そんなような内容を聞くと、けっこういま、興味がそそられている。
関数だ、微分積分だで、数式を覚えろで、「つまんねぇ〜」で数学嫌いになった自分としても、その数式はこんなことなんだよ、って面白く解説してくれている、って聞くと、ちょいと興味は湧く。

で、その話の流れで、大吉さんが、
「数学もなんだけれど、日本史を好きになれなかった」
というようなことを語りだし、最初は好きになりかけたのだけれど、って感じで好きになれなくなった経緯を話していた。
大まかこんな感じ。
「日本史を最初習い出した時には、出てくる武将や歴史上の偉人に自分の先祖を置き換えてみたりして、もしかしたら自分の先祖も、なんてわくわく妄想していたけど、ある時、母親に、そんなわけないだろ!うちの先祖は百姓だ!、て聞いて、どう考えてもそうだよな、と思ってしまって、夢もロマンもなくなって、歴史が嫌いになった」
みたいなこと。

なるほどなぁ。
勉強って、入り口、本当に大事だよな、とも思ったけど、それはそれとして。

10代遡ったところには、先祖は1024人いることになる、あくまで計算上だけど。
10代は、一代30年と大雑把に考えても、たかだか300年前、江戸中期頃だ。
江戸中期に成れば相当日本全国の行き来が盛んになり、わりと街道と呼ばれる道も整備されていただろう。
参勤交代もあり、全国から人が行ったり来たり、各宿場宿場にはいろいろなところから人が集まり出会い、そんな感じだろう。いまほどではないにしても。
そうなると、1024人、どこのだれだか解ったもんじゃない。
殿様がどこぞでお手付になされて出来たこどもかもしれない。
貴台の盗賊との間の子供かもしれない。
日本は島国だ。そこら中に、外国から人が流れてきていた。
鬼伝説なんかはそれを裏付けるようなものが多い。
そう考えると、中国大陸・朝鮮半島だけではなく、ヨーロッパやアフリカからも人が入っていた可能性は大いにある。
その血が混じっていないとは言えない。
つまり、ごく一部の先祖が武将だか農民だか天才だか悪党だかなんて関係がない。
きほんはみんな、先祖がどこの誰だかなんてわかりゃしない。

つまり
「オレは〇〇家の〇〇だ!」
なんてふんぞり返っていても、その〇〇家が誰の子孫であったとしても、先祖の殆どはどこの誰かもしれない人間であり、どこの誰かもしれない人間の血を引いているということだ。
もしかしたら〇〇家の先祖よりも社会的地位ってやつではもっと上の位の地位にいた人間もいたかもしれんし、腐れ外道と呼ばれるような人間もいたかもしれん。
これもまたかもしれん。いなかったかもしれんし、いたかもしれん。
しょせん血筋なんてもんを、社会貢献度とか、地位とか、金でみても意味がないってことだ。
猿だったんだし、もとはみんな。

すげ〜よね、そう考えると。

だって、その前は魚っていうか、海にいたんでしょ。

猿だった頃は、いまのオリンピックに出るような選手でも相手にならないくらいの運動能力あったろうし、走るにしても、飛ぶにしても、力にしても。
魚だった頃は、とんでもないスピードで泳げたろうし。

すごいじゃん、おいらの先祖。

ま、何をどう見るか、感じるかだけれど、いま現在の家柄というか、名字なんてもんを誇るために先祖持ち出すのはナンセンスだな。
くだらない。

いまここにあることをただ単純にいただくために、すごいもんなんだなこの繋がりは、ってことを感じるために先祖を持ち出すなら意味はある。

歴史だとかを学ぶ意欲として、もしかしたらオレの先祖は天才だったかも!オレはどこぞの王族の末裔かも!って、そんな感じで興味を持つ、入り口の発火として先祖を妄想するのは自由だし、もし、だれかが、それで調子こくのでなくて、単純に歴史に興味を持つためだけにワクワクしていたなら、否定する必要はないよね。

「オレは、なになにの末裔で、オマエラとは違って偉いんだ!」ってきたら、全力で否定すっけど、「どこが?何が?だから、なんでそれでエライって言えんだよ!」って。

名字を大事に、お家大事で生きている以上は、オレも相当人生を他人事で生きているけど、オレよか自分の人生他人事になっているんじゃね、と思える。

あ、これ、大吉さんのことではないよ。
大吉さんは、単に、勉強の好き嫌い入り口あるあるの一例として、自分が歴史好きに成れなかったエピーソドを面白く語っていただけだから。

いま生きている自分は、誰かどこかのバーチャルなエライさんの人生を生きているわけでもなく、ダメダメだったかもしれない先祖の人生を生きているわけでもなく、隣のステキなあの人の人生でもなく、己の命に代えてでも守りたいと思っているその人の命も生きることもできない。

自分の人生以外は生きられない。

だから、たまには自分の命を見つめる時間を作るのは必要だな。

それは、己の死を見つめることでもあるんだな。

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