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煩悩具足

利己主義者は自分では十分合理的な人間であると思っている。
そのことを彼は公言もするし、誇りにさえもしている。
彼は、彼の理智の限界が想像力の缺乏にあることを理解しないのである。

             三木清


今朝方、目覚める瞬間に見た夢、そう、一度起きて、ウトウト15分ほどしてしまいその間に見た夢を題材に書こうと目覚めた時に思い、しっかりその時にどういう内容であったかを確認した。

とてもリアルで、それでいて有り得ない、ぎりぎりドラマティックな、よくできた台本のような、そう「男はつらいよ」の車寅次郎がいるようでいない、それでもこういう人っているよねと思わせてくれる、そんなギリ作り物のような内容、登場人物、セリフで展開された夢だった。

わすれた。

おかしいもんだ。

あれだけ鮮明に覚えていて、あれだけ確認をしたのに、見事に忘れ去ってしまった。

ほんと、面白いというか、あまりにリアルに嘘っぽく寝汗モン、起きてからゾクゾクしたのに。

そういうことってあるよな。

むかし、ウッチャンナンチャンなんかが売れだす直前、象さんのポットという漫才のコンビがいたなぁ。

そのツッコミ?ボケ?おとぼけ?のセリフが、「そういうことってあるよな。」だった。

そいうことはよくとは言わないが。けこう覚えているのになぁ。
これ!というものをよく忘れる。

家の鍵とか、携帯とか、経本とか、これを渡すために会うのにその「これ」を忘れるとか。
肝心なものをよく忘れる。

だから気楽に生きられているのだろう。

肝心なものをきちっと覚えていると、ちょっとハードだと思う。
余裕がまったくなくなりそうだ。

たとえば、自分の許容できる最大量が1テラバイトだとして、どうでもいいことやものは10メガくらいだとて、肝心なことは10ギガくらいありそうだ。
そうなるとわたしの許容範囲をあっという間に肝心な物が埋め尽くしてしまい、どうでもいいことが入り込む余地がなくなる。
ただでさえアップアップだ、これじゃ。

それで終わればいいが、その肝心なことやものは、実は時代や場所が変わるとまったく肝心でも、重要でもなく、いつでもどこでもつうようする、時間や場所関係なく通用する共通項的なものはどうでもいいことやものだったりする。

で、肝心なもので武装していい気になっていたら、なんの役にも立たず、置き去りにしてきたどうでもいいことやものはそこにはなく、呆然とし、いままでの自分を全て否定しかねない悲哀を感じてしまう。

そんなことになりかねない、肝心ばかりで生きていると。

できる奴で生きるって、下手したらそういう落とし穴がある。
できる奴を自惚れてしまって、周りが見られなくなるとね。

先日、石橋貴明さん(とんねるず)のドキュメントを観た。
いまは、ユーチューバーで活躍がすごいらしいね、知らなかった。
YOUTUBEって殆ど観ないから。
時代にはついていけてない。

で、正直、同世代、ほとんど同い年だけど、いままで「とんねるず」というコンビを、石橋貴明という人を、すごくおもしろい!と思ったことがない。
でも、デビューから今の今まで、変わらないスタンスが凄い。
自分がオモシロイと思ったことをとことんやっちゃう。
周りの眼を気にするのでもなく(そりゃある程度はしてるだろうけど)、視聴率だの数字を気にするのでもなく(そりゃしてはいるだろうけど)、一番に大事にしているのが「やりたい」という気もちなんだな。
それをYOUTUBEでもやっているという。
で、YOUTUBEでは、テレビのような縛りもなく、本当にやりたいことをただやっている、というスタンスが受けているのだろう。
そう考えると、とんねるずというコンビのやってきたことって、どれもネット配信系のことだったのかもしれないな、なんて思いながら観ていて、すごいな、こんなに真剣にやらかしているのって、と、感心しきりだった。

無駄にしていないなぁ・・・。

そうなんだよね、肝心なことも、どうでもいいこともないんだよね、そんな線引は本当はない。
なんか、勝手に肝心なことと、どうでもいいことで、社会性だとか、人間関係だとか、仕事だとかで、区別選別差別して、これ肝心、これどうでもいい、ってやっているだけのことだ。

いわば、どうでもいいことってもんがないんだろう、本当は。

石橋貴明という人は、テレビ番組(冠番組)が全て一斉に終わってしまい、そこで一瞬落ちたらしいが、気付いたんだろうな。
肝心と思える価値基準が変わっただけで、同じことをやっていくにしても、見る角度が変わって、前と評価される箇所が変わっただけで、別にやっていること、やってきたこと、いまやろうとしていることは、それでいいんだって。

すごいよね。

オレはそこまで思えないだろうなぁ。

肝心を変える事ができないだろうな、と思える。

想像力が缺乏している証拠だ。

てことはだ、逆説的にいえば、どうもオレは利己主義なようだ。

マジか。。。

これでも、けっこう、みんなの意見を聞いて纏めるの得意と思っていたのだが。

そこが利己主義だってぇの。

夢なんてものは、自分の経験や観てきたものという狭い範囲での事象やコトバなんかがグチャ混ぜになって、そこに生活だの精神状態だの体調だののスパイスが加わって出来上がってくるのだろうし、しょせん、独りよがりの、浅はかな台本でしかないのだろう、特に、夢見が良かった!おもしろかった!なんて夢は。
ただ自分にとって気分のいい、登場人物と場所とセリフという設定の上で繰り広げられてマスターベーション的なクソツマラナイ台本と演出で出来上がった夢が心地良い夢なんだろう。
忘れて正解だな。
覚えていたら、今頃、それを書こうとして自分をもう2〜3回恥じねばならなかったぜ。

覚えてないけど、そんな自分勝手で、クソキモい夢を見るってことは、間違いなくわたしは利己主義者の要素をバッチシ兼ね備えているようだ。

煩悩具足。

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