こなせないからこそなんだな。
みんな大真面目です。
不真面目ではありません。
だから厄介なのです。
大真面目に勉強をする。
しかし、その勉強が驚きのないところでやりますと、やはり免許のため、資格のため、うまくやっていくためとなってしまいます。
一楽 真
いま、昼食の支度をしていると、台所の隣の居間で親が「しくじり先生」という番組を観ていた。
隣で爆音で観ているので嫌でも眼に入るし、耳につく。
で、椿鬼奴さんが、結婚間もないころ、多くのテレビ番組でパートナーである旦那さんのことを有る事無い事いい連ねてディスって笑いや仕事をとっていたことを猛省されていた。
旦那とうまくいっていようが、素敵な旦那であろうが、ディレクターやプロデューサーなどの制作スッタフの中には、不仲だとか、ロクでも旦那だとか、できない男だとか、そうした落としまくる、さげすめるような内容を欲しがる人間もいるという。
まぁ、いるだろう。
共演者は、そのエピソードを笑い、より膨らませ、本人も一緒になって膨らませてしまう。
ネットでは、1言ったことが10にも100にも成り、旦那さんの仕事にも支障が出たという。
そして何よりもめちゃくちゃ傷つけてしまったと言っていた。
鬼奴さんのせい?欲しがる制作スタッフのせい?
それがないとは言わないが、一番欲しがっているのは、視聴者である一般の人間、つまり「わたし」だ。
人の不幸は蜜の味。
幸せでめちゃくちゃいい思いをしているという話よりも、失敗談、不幸な話のほうが好きで、そしてそれを求める。
オレはまだマシだな、と思いたいのだろう。
中国、韓国、北朝鮮の方々が幸せに過ごされている姿を流すより、痛ましい姿や、怒りまくっている姿、そんなものを流したほうが数字が取れる。
日本よりも中国や韓国のほうが、医療や科学技術等で進んでいるという事例をあげるよりも、実験で失敗したとか、政治がめちゃくちゃとか、一部の何かを取り上げて不幸であることを強調したほうが視聴率が取れる。
「日本は科学技術も、食事も、何よりも人間がすばらしいわぁ〜」なんて海外の方のインタビューを見て喜んで、「10年前までは日本に住みたい、日本で暮らしたい、働きたいと思っていたけど、いまの日本にはそんな魅力はないです」という事実を教えてくれるような言葉を聴いたらブチ切れる。
そんなインタビューを流す番組は二度と見ない!
そんな番組を組むテレビ局は二度と観ない!
そんな番組のスポンサーの商品は買わない!
こんなクソみたいな姿勢が、より、視聴者に媚びる番組制作、出演者の姿勢を作り上げている要素になっていると思う。
不幸を欲しがっている自分がいると恥ずかしくなる。
なにかの折に、ニュースでも、情報誌でも、ネットでも、なんでもいいのだが、誰かが失敗した、叩かれた、そんな情報を得た瞬間、「ざまぁみろ!」と思ってしまうことがある。
そんな時に、情けなくなる。
それは、たとえ許せないような犯罪を起こした人間に対してでも、わたしが許せないと思う政治家に対してであっても、「ざまぁみろ」根性が出るというのは情けないことだ。
恥ずかしいことだと思う。
その人間の思いに寄り添う必要も、かわいそうになんて思う必要も、犯罪者と言われる人間の事情を分かる必要もないが、「ざまぁみろ」は駄目だ。
この気もちは、社会が良くなったことを喜ぶとか、被害者や被害者家族の思いをくんでとか、そうした慮った思慮から出た言葉でも思考でもなく、ただただ自分以外の人間がひどい目に遇うのが嬉しいという腐れた餓鬼道にあるクズの思考でしかない。
でも、それを欲しがっている。
人の不幸を聞いて見て、自分は大丈夫と思いたい、下には下がいると安心したい、そんなスケベ根性が、腐れた視聴側の根性が、いまのマスコミ、特にテレビ業界を腐らせているのは確かだと思う。
みんな真面目で、真面目に慮って、自分の思考を真面目に停止させて、真面目に外面だけを気にして、真面目に見栄を張って、真面目に死んだ眼をして生きている。
唯々諾々と真面目に良い子でいることを選んでいる。
悲しくないかい、そんなどこにも自分がない生活。
やっぱ、おれはやだね。
だから、
「ざまぁみろ!」
と、どうしても思ってしまうくされた自分を認めるし、恥じる。
昨日までは、「どうもあいつも終わりそうだな。自業自得だ!ケケケ」なんて言っていたのに、みんなが言い出すと、「でも、それって、あいつをつけあがらせたのって、オレだよね」とかどこ吹く風で言ってやる。
「なんだ?オマエ?いい人ぶっているのか?」
そんなことを言われたら、
「いい人じゃなくて、オマエと違って、思考を停止させないで、いつでも物を考えようとしているだけだ」とか言ってやる。
敢えてそうあろうと思う。
こんなときは天の邪鬼な性格が役に立つ。
みんなと一緒!を嫌う性格が役に立つ。
当然その場その場でうまくやり過ごすことを考えて生きている。
そのほうが楽だし。
いつでも問題意識を持って!なんてできるほど繊細でも、物分りが良くもないし、優しく成れない。
でも、やりすごす、適当がどうしても気持ち悪い時がある。
そんなときを大事にしている。
どうせ流されて生きなければ生きれないのが人間だ。
それならばせめて、流されてたまるか、ってたまにでもいいから抗ってやりたい。
まだ、若干だが、そんなことを思える元気があるし。
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