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阿られると弱いんですよぉ〜。

ひとに阿る(おもねる)ことは間違ったことを言うよりも遙かに悪い。
後者は他人を腐敗させはしないが、前者は他人を腐敗させ、その心をかどはかして真理の認識に対して無能力にするのである。

             三木清


わたしは褒められて伸びるタイプなんだ!

叱られると、とたんにやる気が失せ、やめたくなっちゃう。

そんなふうに周りに言いまくり、オーラ出しまくり、苦言・きつい忠告・お叱りをしてきた人間には噛みつきまくってきた。

そしたらこんなになっちゃた。

難しいもんだ人が育てられるというのは。

いいのか悪いのかわからないが、いや、これからこの今の時期を経て、人間同士の関係がより良くなっていくことを願うだけだが、正直、どこからがパワハラで、どこまでが相手を育てるための必要とされるのか、する方もされる方も、今、みんな悩んでいるのではないかな。

もちろん、どう考えてもストレス発散、上司や会社に自分の能力を認めてもらいたいがため弱者を使って仕事を成功させるため、イジメ、そんなもんは論外だ。

ただ、昭和のジジー共は、自分がやられてきたことを否定したくない人間も多いと思う。
それを否定したら、なんか自分のしてきた仕事、結果、業績、汗、涙、全てが否定されてしまうような気がして、全てが無駄だったような気がしてしまうのかもしれない。
だから同じことをしてしまう。
悪循環。

これは、よろしくないよなぁ。
これは、やったことが軽かろうが重かろうがパワハラになると思う。
何も考えてないし。
例えば、新人になんかの場所取りを依頼する。
それだけでも、なんも考えずに、自分の立場がそのカテゴリでは新人からすれば雲の上の人のように思える、そんな立場であることすらも認識なく、それやったらパワハラだと思う。

自分が新人や若手にとってどれだけの立場かを認識して、自分の一言がどれだけの影響力があるかを認識して、指示を出す。
その時に、全体を見回して、立場ではなく、場所取りをする事ができる人間を選ぶ。
それが自分だと思ったら、自分がする。
せめてそれくらいの感覚を兼ね備えて、場所取りに限らず、指示を出すようでなければダメなんだろうな。

むつかしいなぁ。

中学の時、野球部に入っていた。
夏休み、うちの中学の野球部では一年の筋トレ方法のひとつに「甲子園足上げ腹筋」というのがあった。
いつからかはしれないけど、伝統とまではいかないだろうけど、なんかやっていた。
これは、仰向けに寝っ転がって、足を20センチくらい上げた状態で静止する。
ラジオで甲子園の高校野球を聴きながら。
夏休みなので、3年生は引退していていない。
で、2年生が1年生を鍛える?シゴク?教える?そんな感じだ。
2年生が
「どうする?」
「じゃ、ワンナウト取るまでは」
「そうしよ」
みたいな会話の後、足上げ開始。
ひとつアウトを取るまで足をおろしてはならないルール。
早ければ、ものの10秒くらいで足をおろせるが、下手するとワンナウト取るまでに何点もはいる展開もある。
ロシアンルーレットのような足上げだ。
「三振するまで」とか、「次の一点入るまで」とか。
高校野球は、何が起きるかわからない。
ノーアウト1・3塁で、それまでバカスカ打たれていた投手。
ちょっときつすぎるとよくないと、気を使って「次の一点入るまで」というルール設定をしてくれたのに、そこで投手が立ち直り、点が入らない。
そこから投手戦になっていく。
そんなこともある。
今思い出しても、体力もだが、精神的にイラつく練習だった。
途中で足をおろしてしまったやつはグラウンドをダッシュで3周とか。
3回連続クリアしたら抜けられる。
わたしのような運動できない系は、いつまでたっても抜けられず、結果、いつもあと一人とふたりでいつまでも抜けられないで「ヒ〜ヒ〜」言っている。
で、先輩が飽きてきて、「今日はもう終わり。お前ら二人で形付けておけ!」
って感じ。
ま、そこは中学生の仲良し野球部。
そうはいっても、くたばりかけの二人が片付ようとた動き出す頃には、片付けろといった先輩を中心にほとんど片付けていてくれてんだけど。
ある日、同じことをやろうとしたら、その時の副将をしていた先輩が、
「やっぱ、この練習、ある程度はつまんない腹筋トレーニングを少しでも楽しくやるっていうことでいいけどさ、こんなふうに5秒も足あげられなくなるまでやるのって、ちがうんじゃねぇ?コイツラだって、これやらされると思ったら、最初から楽しくもないだろうし」
と、言ってくれて、それに他の2年生も、同級生も賛同してくれ、次の日からは2年も加わって、本数を決めてみんなでやった。
楽しい練習に変わったし、結局、その年、一回も3本連続をクリアできなかったのが悔しくて、毎日の自主トレに力が入るようになった。
お陰で、翌年には余裕ではないが、なんとか3本クリアできるようのなった。
でも、当然だけど、蹴ったり殴ったりはなかったし、上級生ヅラしてあれ買ってこいとかもなかったし(パシリね)、練習以外で学校や街場で会うと、一緒にバカ話もしてくれていた。
だから、きつかったけど、いじめられているとか、無謀だ、とかは思わないで済んだ。

これもさ、中坊ながら、先輩方が、一年坊主というククリで見ないで、ククリで接しないで、一人ひとりを見て、一人ひとりと接してくれてたお陰だと思う。

これが、伝統だから、とか、ザマァねぇ、とか、そんなクソ根性でやられていたら、同じことをされていても、ま、当時はそういうコトバも概念もなかったけど、「パワハラ」でしかなかったのではないかな。

わたしなりの一例でした。
こんな、とりとめのない、的外れ?かもな例ですみません。

なんでパワハラの話になるのかというと、阿る(おもねる)、忖度する、って、パワーハラスメントの世界に繋がりやすいと思うんだな。

会社や上司によく思われたくて、阿る。
会社や上司に一生懸命に阿るために、よく見てもらうためには使える奴はコマとして使う。こいつは使えないどころか、下手をすると邪魔をする、オレよりもよく見られてオレの居場所を侵害しかねない、そんな奴はとことん排斥、とことん叩く。
そんなこともあると思う。

忖度も一緒。
わかれよ!
オレは、会社と上司のことをわかってんだから、そんなおれをわかれよ!

こんなくだらない理由で、人権を侵害する。

で、阿られ、忖度された上司や会社は、されて当り前。
われらを奉るために誰が何をしようと、それはそいつの責任であり、わたしはまったく関知しない!という究極のパワハラ。

阿るとか忖度って、そんな世界だ。
今使われている意味合いだとね。

阿るは慮ることではない。
何も考えることなく、なんの思想も考察もなく媚びへつらうこと。

忖度は、もともとは推し量る、慮る、思慮して、思考して、真実を考察することなんだが・・・。
ま、とんでもない使い方を政治家や官僚が付けてくれたもんだぜ、って感じだ。
忖度=阿る、みたくしやがって。
忖度が慮るのは、相手の立場や都合やそれに付随する自分の立場や都合ではなく、誰とであろうが、どこでであろうが、変わることなく、揺らぐことのない真実とはなんだろう、ってことだ。

ま、でも、今は、忖度しなさいと聞いて、ほとんど真実を量るなんて思わないだろうから、敢えて、「おもねる」と同じでいいや、ここでは。

でさ、自分自身が、辛いのは、痛いのは、叱られるのは、命令されるのは嫌いだ、非難も嫌だ!をしている時、そこに「忖度しろ!」があるなぁ、と。

オレに媚びてへつらえ!がどこかある気がするよな、強い立ち場になればなるほど。
自信のなさがそうさせる。
責任逃れだよね、何かあってもオレのせいじゃない、という逃げ場づくり。

そんなものが見え隠れして、周りがその空気に面倒くさいから、その場だけのことやり過ごせばいい、で持ち上げられた時なんか、終わってみるとなんも残ってない。

達成感すらない。

ましてや、きつい仕事だったけど、結果は散々だったけど、悔しかったけど、やってよかった!なんて気持ちが湧くはずもない。

阿られる人間には成りたくない、というのは本当に思う。

いつものことだが矛盾している。
阿られる人間だけには成りたくないくせに、どこかに「おれを・・・」という傲慢、甘え、逃げがある。

なんていうのかな。
持ち上げられて、浮かれて、気持ちよくって、で、死ぬ時、
「あれ?何してたんだ、オレ?」
ってなるよりは
「ハタからみたらクソみたいな人生だったろうけど、捨てたもんじゃない、なんか面白かった」
と、思えるほうがいいなぁ〜、と、憧れてはいる。

でもこればかりは、死ぬ時になんないとわかんないよね😅

いま、気がついたんだけどさ、オレが一番、阿て、忖度している相手って、自分自身なのかもしれない。

ヤバし。


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