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愛欲の味噌ラーメンに沈没。

人は一人では生きていけません。
一人で生きていけないから人間と書くんです。
人は世間の中にある。
世間の愛欲の中にある。
      瓜生 崇

昨日
味噌ラーメンが食べたくなった


味噌ラーメンを食べさせてくれる店が休みだった。

美味しいと評判のラーメン屋
気に入ったラーメン屋はある。


違うんだよなぁ。
そういう店の味噌ラーメンではないんだよ。
食堂系中華の味噌ラーメンが食べたくなったんだよ。

「うちは特別に仕入れた味噌を○種類ブレンドして!」
という
そういうんじゃないんだよなぁ
味噌ラーメン食いてぇ〜、という時は。

オムライスが食べたくて注文したら
ふわとろオムライスが出てきて
こんなのオムライスじゃねぇ!
て、感じ。

わかるかなぁ〜
わかんねぇだろうなぁ〜


無事
本日の昼食に
味噌ラーメンを食べることができた😂

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餃子も

画像2


オムライスも
味噌ラーメンも
ざる蕎麦も
カツ丼・親子丼・玉子丼も
カレー丼・カレーうどんも
生まれ育った街の味。
ちょこっと違うだけで満足感が得られない。

オムライスの中身はチキンライスではない。
ケチャップライスだ。
ハムでなければ、ゆずれてベーコン。

味噌ラーメンは写真の感じ。

ざる蕎麦は固まっちゃって
箸を刺してすくったらたら
全部持ち上がっちゃう感じ。

カツ丼系は
卵がしっかり固まっていなきゃ。

ソウルフードみたいな感じだよね。

しらずしらずのうちに
環境につくられているんだよね。

好みみも

自分の感覚
自分のおもい
自分の好み
すべてを自分が作り上げているように思うが
自分で作り上げたものなんて何ひとつない。
良し悪しではなく
それが事実だよな。

世間の流れに反逆しているつもりでいても
気が付くと
好みが世間に侵食されていることがある。
それに気が付くときが。

いや
それが嫌だとか
情けないとか
そんなことはまったくないが
あれ?
って思うことが。

ファッションなんて一番わかり易い。

自分は
まったく
おしゃれやファッションってものに
疎くて
興味も殆どないのだが
だからこそ
新しいはやりの服とかを着ている人見て
なんじゃ?なんてカッコしてんだ?
と、思ってしまう方だけど
それが歳月が経つと
普通に当たり前に
素敵だな
あんなふうに着こなせておしゃれだな
と、思えてしまう。


食と同様
根っこに残る好き
ってものもあるけど
それも微妙に
マイナーチェンジされていると思う。

ともかく
あると思っている自分
そのものがあやふやなことは間違いない。

でもさぁ
理屈ではそんなこと言うけど
やっぱ
確実に自分の中には
自分が作り上げたんだと
頑固に言い張る
自分の好みってものがあり
それが自分ものだと思っている。

世間にあることすらわからない。

この好き嫌いは
オレの愛欲は
オレのものであり
でも
オレのものではない。。。らしい。。。

オレの愛欲だ!
オレの好き嫌いだ!
しょせんオレの好みだ!
こいつは人に言われて、
お前の好みでモノ言うな!
とか言われて
ムカつくし、怒るけど、
納得はどこかでしている。

それはお前の好みではない!
こいつは
どうしても納得できん。

「いや、その好き嫌いは
お前が作り上げたものではない
という意味だよ」
とか言われても
納得できん。

ワシの好き嫌いは
ワシの愛欲は
ワシのもんじゃ!

そうなってしまう。

愛欲の広海に沈没し、
名利の大山に迷惑す。
       親鸞



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