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大阪

私たちの日常生活は自分が居ないのですよ。
没主体的で、物事一つ決められないありさまですね。
そういう生き方しかしていない。

          池田勇諦

日本人は特に封建政治が好きだな、と最近はよく思う。

上意下達。
上から言われたことをただやる。
お上の言うことは全て正しい。

そんな社会から、江戸幕府が倒れて、開国して、明治維新になって、文明開化が訪れて、大正ロマンがやってきて、戦争に負けて、民主主義がやってきて、それでもあいも変わらず、上に全てお決めてもらって、言うことを聞くだけのほうが楽でいいや、てのが日本人ぽい。

自分で悩んで考えるのがあまり好きではないのだろう。

なんかそれおかしくないか?
と、悩むより、みんなが言うから、お上が言うから、そのとおりにするほうが面倒くさくなくていいらしい。

そんな日本人が、今回の大阪都構想で「NO」の判断を下したのは、ある意味快挙だな。

自分が所属している団体の意向に縛られず、あの人好きだから!なんてタレントを応援するような気分にも流されず、それはそれ、これはこれ、で判断を出した大阪市民。
たいしたものだと思う。

東京だっったらやばかったよな、こんな住民投票があったら、簡単に流されそう。

珍しくテレビですら、投票間際になってからだけど、都構想の問題点を取り上げだしていたくらいだし、利点もそりゃるだろうが、そうとう構想に穴があったのだろうし、無理があったのだろう。

こうした自治体の問題を、オレの住んでいるとこじゃねぇから関係ねぇや、で済ましていると、自分の足元に火がついた時にも炎上してどうにもならなくなるまで気付かない、そんなふうになると思う。

沖縄の米軍基地問題にしても、原発問題にしても。

結局は他人事でしか考えられないのだけど、他人事ではない!というところに意識をもって考えるようにしなければ。
そこには、わたしの考えでは、と言いながら、さまざまな情報に踊らされ、状況を鑑みた、実は主体性のない考えでしかないかもしれないが、「わたしは」という主語をつけたうえで、「こうこうこう思う」と、自分の意見を言うようにしていきたい。

主体性もなければ、他人事でしかない。
それがわたしの正体だ。

げんに、興味半分ででしか「大阪都構想」にしても考えていなかった。

沖縄や原発の問題にしても五十歩百歩だ、「わたしの問題」としての捉え方は。

恥ずかしい話だ。

大阪都構想はやめといたほうがいい。

沖縄県の米軍基地は縮小、できればなくせれば一番いいのだけどどこの国のどの基地も。

原発は反対。いらないでしょ。

そんな感じ。



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