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人間でないもんに人間の社会は任せたくない

自分の苦しみは、自分ひとりのものではない。
苦しみのなかで自分はひとびととともにあるのだという自覚は、やがて苦しみのなかでひとびとと手をつなごうという積極的な姿勢に変りうる。

           神谷美恵子


公助〜共助〜自助の世界。

まずは全体で弱者、困窮者、悩み人を救う体制、空気があり、そのなかで身近な者同士で支え合える術を探し、自らがそれによって生きていってみようと思える。

人間社会はそうあるべきだと思う。

人間は、個では生き抜けないことを知り、徒党を組み、自然の中で生き抜くことを選んだ。

組んだ徒党が個を見放した瞬間、それは人間の知恵を放棄したことに成る。

人間の放棄だ。

そういえば、自助〜共助〜公助を推し進めてきた人間たちは、自らを神だと思っているようだ。
つまり彼らは、自ら人間を放棄したのだな。

人間でないものに人間の社会をコントロールさせるのは、宇宙人に社会を売り渡すのと何ら変わらない。
虫に社会を売り渡すのと変わらない。

ITに飼われることを選ぶのと何ら変わらない。
「ターミネーター」の世界だな。

まず最初に「自助」を求める「公」は、「公助」は絶対に頭にない。
自己責任でなんでもやれ。
成功して旨味がある場合は、「みんなのものでしょ」と「共助」が横からかっさらい、「公」はうえからそれを召し上げる。

自助〜共助〜公助の流れというのは、個が、共同体を助け、公を助けろという世界だ。

そんなもんはクソくらえだね。

自分でなんとかしなければならない状況に追いやられれば追いやられるほど、「おまえらなんとかしろ!」という声を上げていかねば、それをまずは共同体・周りが許す世界を作るしかない。

あなたのその苦しみは、わたしのこの苦しみは、この社会のどこかがおかしい、歪んでいることを教えてくれている。

すぐに効く特効薬はないかもしれないが、何年かかろうが、何十年かかろうが、苦しさを共有できる社会を、いっしょに疑問に思い、話し合える社会を作っていかねばね。

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