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「罪業を知れ」ではない。「知れない」てのが「私」の事実。

我々が自らの罪業を知らないということ。
そのことはすなわち、自分の生命というものをほんとうに生きていないということであり、自分の人生を、空しく自分の思いによって流しているということになるのであります。
自らの罪が自覚しえないということが、もっとも深い畏れなのです。

            宮城顗


昨日の会議での顛末。

予想通り、誰も期待していないのに、ペラペラペラペラ、最初から最後まで喋ってきました😅

期待に応えようとか、そういうのではないことが解った。
ひじょうに単純だ。

黙ってじっとしていられないだけだったようだ。

沈黙の時間に耐えられない。

早く、誰か発言をして、この場をまとめてくれ!
という思いが出る前に、自分が話し出し、まとめるのではなく、無理くりオチを付けて場を流す。
つまり、200日書いているこの「note」よろしく、むりくり話にオチをつけて、出来上がった風をつくるのだった、会議の席でも。

議事進行をする司会の方は大変。
何がいいたいんだ、こいつは?
と、さぐりさぐり聞き耳を立て、それを上手に纏め、わたしが言いたいことが別段無いことも含め、うまく落ち着かせる😆
そう!着地は司会者任せのフライイングボディープレス、ムーンサルトプレスのオンパレードだったぜ!😆!

自分の思いもクソもなんもないのに流しまくるわたくしの暴挙で、あわや空しく過ぎ去ろうとした会議を、司会者は見事に受け止めて、堰き止めて、流れをコントロールし、内容のある会議にされたので素晴らしかった。

これで安心して、次回からも好き放題できるとうもんだ!

違うし!

反省してんだし。

わかっていてやる、そういうの直さなきゃだめだし。

でもねぇ〜、若い頃から、子供の頃から、もともといきあたりばったりでもの考えないで発言する傾向があっったのにプラスして、歳を重ねるとともに前頭葉の老化も順調に進み、感情や言動のブレーキがいよいよ効かなくなってきているしなぁ😆

自覚すりゃ自覚したで、こうしていろいろと考えてしまうけどさ、なんも自覚しないでいる人間は、本当にビビって生きてるなぁ、って最近とみに思う。

ここ10年ほどの日本の政治家や官僚なんて、
「わたしは間違ってない!怖くない!畏れなど無関係だ!」と言いながらオロついて喚き散らしているのばっかだ。
人身事故起こした池袋の暴走爺さんも、車のせいにして一切の反省を拒否っているところが、あぁはなりたくねぇな、ってくらい惨めに歪んで自分の思いに閉じ籠もっている。

昨日の自分を思い出すと、「ヤバいぞ、似てきているぞ、ああいうのと」と思えるから、非情によろしくない。

オレはアイツラほどダサくない!

と必死に思っている事自体が、あやつらとそんなに変わんないってことだろう😅

どこまでいっても、人間なんてもんは自分勝手で、ビビリな生き物でしか無い。

だからこそ、いちいち自分に気を配って、自分に気を付けて、気にかけてやらにゃあならんのよね。

どんだけ、大事に手をかけても、どうなるもんでもないのだけれど、どうにもならんぞこいつは!ってとこで生きれるから。

すると、少しだけだけどさ、そんな自分を大事にしてくれている色んなものが見える時がある。
見えたら、感謝なんて大層なことはできないけれどさ、「ワリっ✋」ってくらいはできる。

これができたときって、とても気分がいいしね(^o^)


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