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地獄は自尊心

サルトルという人は
「地獄とは他人の眼だ」
といわれております。
つまり「他人の眼」とは、
私を裁くのですね。
常に裁かれて生きている。
そこに地獄がある。
そういう他人の眼という、
裁きの眼というものが、
地獄である。
       宮城顗

今日は京都では五山の送り火がある。

大文字
左大文字
舟形
妙法
鳥居

4年間、京都の大学にいたので
五山はすぐに覚えた。
行ったときは大文字焼きって名前しか知らず
それが五山であるなんてまってく知らなかった。

あれ?あっちにも大文字(左大文字)があんぞ!!!
なんじゃ!あの象形文字みたいのは?(舟形)

そんな感じ。

京都市内に住みだすと嫌でも比叡山と五山は覚える。

と言っても私の場合は五山の名称はとんと知らない、未だに。

この山を見て、今時分がどのへんにいて、どっちを向いていて、目的地は大まかどちらがわか、だいたい測れる。
ひじょうに便利。
最初に確認したのは比叡山。
北はあっちで、東はこっち、とすぐ分かるし。

先日
大文字をライトアップ(LED?)したバカがいたらしい😪

どういう意図なのかは知らない。
今年は縮小されての送り火となることへの寂しさとか
ただのいたずら、目立ちたがりなのか
それはわからないが
単なるショーとしてやっているのではないのだし
京都の人達からすれば盂蘭盆の大事な締めなわけだし
大事にしている人がいる以上
テメェのひとりよがりのために、あまり勝手なことはすんなよ、と思う。
独りよがりはテメェの部屋の布団の中だけでしとけ!って感じかな、もしそいつが知り合いだったら、そんな感じで怒鳴り散らす。

ま、いつの時代も似たようなアホはいるということだな。

もしそいつ(そいつら)が
「オレがやってやったんだ!誰も思いつかねぇだろ!思いついてもやる勇気はねぇだろ!」なんて勝ち誇っているのなら、教えてあげたい。
わたしが学生の頃、懐中電灯ですでにやった奴がいたし。
それをやった人間は捕まったはず、確か、どこかの学生。
その前には、「犬」とか「太」とかを懐中電灯でやったのもいたという。

面白半分ならやめときな。
そこの文化、風俗、風習をコケにすると
絶対に許してくれない怖い人多いよ。
バレたら早々に、学校や会社をやめてどこかに越さなきゃならなくなる。
生きていけないよ、そこじゃ。

たぶん
一瞬はなんだかやり遂げて
勝ち誇った気分になっていたかもだけれど
今は地獄だろうね、やった奴。
捕まったのかな?
それならそのほうがいいかも。
まだなら
道行く人みんなに監視されている感じじゃないのかな。
「おれはそんなの気にしないタイプだ、へっちゃらだね」
と強がって、ウソブイていても、
どこかでバレやしないか、
誰かに自慢しちゃっていないか、友達にとかSNS なんかで。
酒の勢いで自慢しちゃわないか、友達同士のどうでもいい会話の最中につい口を滑らしはしないか。もう、何を喋るにも、誰と一緒にいるにしろ、常に気は緩められない、緊張の連続。不断のプレッシャー。
そんな気持が少しでもあれば、誰も信用できないだろうし、みんなの眼が気になるだろうし。。。孤独だな。

たいへんだな。
まだ見つけてもらえてないなら
とっとと自分から警察なりに行くことを勧めるよ。

なにかする時に他人の眼が気にならない
なにかした後に他人の眼が気にならない

そうなるともう人間としてどうなの?
と思えるし、たぶん使えねぇ奴だな、と思う。

その反面
他人の眼ばかり気にしていても同じく
使えねぇ奴だな、と思う。

バランス?
タイミング?

タイミングといえば
京都に4年間いて
五山の送り火も祇園祭も観たことないんだよねぇ。
嫌っていたわけでも、興味がまったくなかったわけでもない。
単純。
お盆の最中で忙しかったから。

でも、なんか8月のお盆が終えると
夏ももう終わりだなぁ
なんて感じで、気持が先に哀愁の秋へ行くよね。。。

て、最近はそうもいかない。

10月でもまだ暑いし!

気を抜いたらヤバいぞ!
まだまだふた月は暑いぞ!
そんな気持で過ごさねば気が先に萎えてしまいそうだ。
残暑に叩きのめされそうだ。

他人の眼も地獄だが、自分が自分に課せる、できない自分になっては駄目、という自分への欲望、自尊心もこれまた地獄だな。。。

地獄は一定すみかぞかし
        by 親鸞

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