見出し画像

彷徨い人

自分が人間になるということは、
人を人間としてみることなのです。
人を人間としてみることなしに、
自分が人間として
生きられるはずはない。
けれども私たちは、
実際の生活におきまして、
なかなかほんとうには人を
人間としてみていない。
肩書でみたり、成績でみたり、
地位でみたりする。
そのときには、
自分もまた
人間性を失っているわけです。 
           宮城顗

2日連続でヤバいかぁ?

一昨日、千葉からの帰り
高速で乗り越して所沢まで行ってしまったのは
昨日の記事に書いた通り。

昨日は
会議を終えて
2人で練馬にでて少し飲んで帰った。

少しだが
たまにしか飲まなくなったので
すぐに酔う。
ベロベロではないが
気分良くなってしまう
すぐに😅

ツレの方は大江戸線
わたしは西武線
練馬で別れ
会議も良かったし
飲みの席も楽しかったので
気分良く電車に乗り込む。

「この電車は各駅停車池袋行です。
 有楽町線・副都心線方面へ〜〜」

え?
ええ?

わっ!あたり前のように池袋に出そうになっている!

やば!

ダッシュで降りて
階段降りて登って
ちょうどきた「石神井公園行」に乗り込む。

あぶない。
昨日に続いて
目的地と違う方面へ行くところだった。

もしかしてオレは家に帰りたくないのか?

そんなことはない。
お家大好きだし。

アブねぇアブねぇ
騙されるとこだったぜ。
誰に?
西武鉄道?
居酒屋の方?
その時いた周りの人々?

だれでもないし
だれでもいい
騙されるとこだったんだ!

ゼェ〜ハァ〜ぜぇ〜はぁ〜

マスクをして
階段を駆け下りて駆け上ったもんで
まったく息がととのわない。

ゼェ〜ハァ〜ぜぇ〜はぁ〜

なんとか座れたが
隣の方に迷惑か。。。
息を止めるのもできんし・・・
ん?
両隣の方も
前に立たれている方も
まったくわたしのぜぇ〜はぁ〜に気づいていない感じだ。。。

!!!

そうか!
マスクのおかげだ!

マスクをしているので
肩で息をする用なふりさえ見せねば
ぜぇ〜はぁ〜に気づきにくいのだ!
そして、お互いにマスクをしているので
酒の匂いもさほど気にならないのかもしれん!

マスクに感謝だぜ。

素知らぬ顔で
誰に言うともなく
わたしは大丈夫ですよ
なんともありませんよ
息が荒いなんてことはないですよ〜だ!

と、ぜぇ〜はぁ〜をそっと続けた。

二駅くらい進んでようやく息も整い
周りをまた気にしてみる。

なんらかわらない。

嫌な顔ひとつしていない。

少しホッとする。

いまさらな話。

気づかないわけがないよな。
わかっていて
そっとしておいてくれたんだろう。

ま、
べつだん興味がなかったというだけかもだが。

でもいいように取ろう。
そのほうが気分がいいし
話も進めやすい。

見知らぬ他人のほうが
人間として扱ってくれる
ということもあるのかもしれない。
時と場合であったり
なんだかんだ条件付きだろうが。

知り合ってしまうと
そこに
なんかしらの装飾を付けてみてしまうことも確かにある。

どこどこに勤めている
年齢が上だ下だ
カネの有る無し
どこそこの学校を出た
男だ女だ

そんなものを気にしてしまうことはある。

それでその人の価値を測ろうとしている
恥ずかしい自分は確実にいる、
自分の中で、すぐ否定するにしても。

歳上なんだ。年下か。同い年か。
サラリーマン、先生、医者、ガテン系。
どこそこ大。どこそこ高校。

一瞬は気になってしまう。

人を見ずに、装飾品を見ている、その時は。

「わたしは坊主なんですよ。であなたは何をなさっているのですか?」
「人間をやってます」

舐めてんのか?と思うか
面白いやつと思うか
何十年前のノリだよと思うかだろう。

相手が真面目に言ったとしても
本当に人間であることこそ自分の一生の勤めだと思っていての回答だったとしても、そうは受け止められないと思う。

人間やってます。
ヨロシク。

いつかそんなふうに言えるようになりたい。

それ言えないと
人様のことも
人間として受け止められていないような気がする。

いま、ものすごく面倒くさい方向に思考が動いてしまった。

これもまた少し考えておこう。

人間である以上は
「間」=「社会」=「カテゴリ」
そこで生きること。

仕事、立場、時間、場所etc...

それを「意味場」として
そのところどころで違う仮面をつけて生きる。

「意味場」と「無意味に在る」
そこの兼ね合いがどうなんだろ?

わっけわかんなくなってきた。

もう今日はやめ!

ともかく
やっぱり今日のところは
これを目指すんだ、としよ。

人間やってます。
ヨロシク。



この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?