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オンライン会議に参加するに当たり。。。

時には生徒や地域の子供が間違えたとしても、周りの大人は炎上を怖がらず、子供を常識や制約に押し込めずに守る姿勢を見せることも必要じゃないかな。
あと大人自身が不安定な人生でいいんだって自信を持って言えることじゃないかな。
安定した人生なんて幻想だから悩んでるの普通だよって俺は伝えたい。

             高知東生


どえらいこっちゃ。

花粉がめちゃくちゃ舞っている。
眼の痒さ、鼻のなんか知んないけど枯れた感じ、肩こり。
マスクをしっかりしていようが、花粉は許してくんないよなぁ。

くそ〜、きついぜBABY!

今日はこれからネット会議だ。
オンライン会議が正しいのかな?

どちらでもいい。

どちらにしろ苦手な会議だ。
会議自体が好きでないのに加え、息を、間を感じられないこの会議は、本当に苦手だ。

やっぱ、髭そったほうがいいかなぁ〜。。。

そっか!自宅だし、マスクしてないから髭は剃った負が良さそうだ。
昨日は剃り忘れた。
けっこう一日剃らないだけで伸びている無精髭。

この一年、年がら年中マスクしていたらさ、なんか髭の伸びが早くなったような気がするんですけど〜、気のせいかな?
マスク内で湿度と温度も上がり毛穴の開きが良くなってんのかな?なんて思っているんですけど〜、オレだけかな。
髭剃るのを忘れることも増えてしまっている。
マスクしてるし、めんどうだしいいや、で、外に出る事が増えたせいで、大事な時にひげを剃り忘れて出てしまい、「いやぁ〜、マスク外せなくてきついですねぇ😅」とあえて宣言をして、出されたお茶にも手を付けず、やべぇ〜空気に成らないようにいつもより口数を増し、まくし立てて、脱兎のごとくお暇する、なんてことが何回在るか😅

絶対、ひげの伸び方、早くなっていると思うんだよなぁ〜。

剃らなきゃ。

これさ、髭を伸ばしたままだと、綺麗な意志がある髭ではなくて、単なる無精髭だと、不真面目な常識のない使えないヤローとみなされるんだよね、けっこう。

けっきょく、持ちモンとか、服とか靴とか、髪型とか、地位だとか、名誉だとか、見た目と肩書でしか人を見ようとしない、それが致し方がないことだっていう悪しき文化だか風習だか常識だかが、この社会を住みづらくして、偏見差別を呼んでいるんだな。

たしかに、お互いさまのところもあるから、互いに気をつけることは人間である以上は必要では在るのだけれど、そいつが、何よりも大事となっている状況が見えたら、即座に改めるようにしたほうがいい。

社会に出たらもっと厳しい!から、高校生、中学生のうちから、ある程度の締め付けは必要だ、それで慣らされんだ!なんてクソみたいな理論は不必要だな。

それって、テメェらが作ってきた社会を否定されたくなくて、若い人々に拒絶されたくなくて、無理くり、いまが正しいを強要するために押し付けているパワハラでしか無いよね。

いまどきさ、髪の色が何色だろうが、ピアスしていようが、化粧していようが、ウィッグ付けていようが、それでいいか悪いか判断できないし。

だいたい、キッチとしたすきのない身なりの高学歴と言われる人間がさ、買収したりされたり、書類を改ざんしたり破棄したり、不正献金だ、不正事業だ、先頭切ってやらかしまくりなんだし、カッコなんて関係ないし、金があろうがなかろうが、地位が高かろうが低かろうが、頭が良かろう悪かろうが、どこで生まれようが、どこに住んでいようが、関係ないよね。

追い込まれれば、有頂天になれば、もの考えられなくなれば、何をしでかすかわからないんだよ人間は。
それは自分自身もだな。

絶対わたしはそんなことはしない!って考え方しているやつが一番危ない。

していることにも気づかないこともあるし、そういう奴は。

高知東生さんのツイートに最近ハマっているんだな。

以前も書いたけど、生まれた環境も、育った環境も、やってきたことも、たぶん性格も、年が近いということ以外ほとんど共通点は見当たらないのだけど、彼が、環境にどっぷり浸かって、時代にどっぷり浸かって、それが未だに根底にあって、拭いきれるものでないものであって、それが自分のものの捉え方の基準として相当な位置を占めているという自覚があるのが、とても頷けるんだな。

で、今日の言葉はさ、逆に、最近の社会が若い世代に求めている縛り、右へ倣えが正しいという日本的思考、みんな一緒が平等という勘違い、与えられたものに疑問を持たずに受け入れるのがいい子という刷り込み教育、いい子でいるのが一番楽だというマインドコントロール、それに抗え!という応援の言葉だなと。

で、うちらジジイ世代には、やっていることみているとこ、違う。
お前の「幸せ感」を押し付けるな。
お前の外されそうだという不安を払拭するために次の世代、その次の世代を犠牲にするな。
お前にできるのは、生きれば生きるほど、おろついて、あたふたして、怖くて、悩ましいんだというダサい姿を見せることくらいだ。
その姿から、それでも生きていていいんだぜ、という放たれた強さが初めて見えてくる。
それを見せることで、なんだ、社会的価値感なんかに合わなくても、辛くて悩ましくてダサくても生きていていいんだ、居場所在るんだ!と、感じ取ってもらいたい、そんな願いを見せる事が大事なんだろう。

そろそろ、日本人も気づかなきゃね。
成長しなきゃ。

いいかげん、国に、社会に、常識に飼われる一生なんて不安で空しいだけだって。

さ、それでは、時間も迫ってきたので、わたしは、常識の大事な社会に戻ります。

抗って、髭剃らないで、パジャマでとかシャツとパンツでとで参加してやろうかな。。。
髭そらないも、パジャマも、そこにもうどう見られるかって意志と社会性があるな、こうなると、逆に。。。
てことで、今日のところは素直に髭をそって、少しだけ身なりを正して、落ちこぼれの社会人が必死に「仲間に入れて!」感を醸し出しての参加、それでいこう。

そのほうが、あとから、理念でしかない自分を恥じることくらいはできそうだ。

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