だからでしょ、結局。
苦楽いずれにあっても、そのことによって自分というものをほんとうに受けとめ、自分というものをほんとうに生きていける。そういう世界を見いだしていく。
同じような環境でありましても、そこに大きな問題をになって、生き甲斐をもって生きている人もあれば、逆にただ愚痴ばかり言って世を呪っている人もある。
ただ与えられている状況というものを、私は苦しいものとして、あるいは楽しいものとして受けとり、生きているという事実があるということです。
宮城顗
目標と実態。
目標がないと人間は動けない。
しかし、目標は動き出したしたその時から気づきのきっかけとなり、目標へと歩むことそのものが目標となる。
歩みの実態は、目標には程遠い今であるということ。
だからこそ歩みは止められず、次々へとたすきをわたしていく。
昨日、福島県白河市にある「アウシュビッツ平和博物館」へ行ってきた。
アウシュビッツでなされた狂気じみた虐殺行為はを聞きながら、見ながら、おぞましさを感じながらも、実に人間ぽいと思った。
人道的に!という人もいるだろうが、人間以外、あんな非道はできないし、しない。
目標達成のためならば何でもしでかす危険を孕んでいるのが人間だ。
その目標達成への道中、この道は間違っている!、と思うことを拒否し、思考が麻痺し、正義を邁進する。
そんな勝手で、愚かで、恐ろしいことができる生き物は地球上には人間しかいない。
神を目指していたり、自分が神だと思っているような人々も含めて人間だから。
アウシュビッツの所長だった、大量虐殺の首謀者の一人とされたルドルフ・ヘスは、真面目で、優しさを持った普通のお父さんだった。
真面目に上司に忖度し、妻や子供のために一生懸命働き、虐殺された人々(ヘスからすればナチスドイツの平和のためには排除せねばならない人々)にはなるべく苦しまないようにと「毒ガス」での大量虐殺を選んだとされている。
忖度して他の生命を必要もないのに断つ。
忖度して人を騙してでも自分の団体の利益を得ることを画策する。
忖度して他者の涙を踏みにじる。
そんなことは人間ならではの所業だ。
じゃ、人間って誰?
それ聞かれたら、
「わたしです」
と答えたくなくても答えざるを得ない。
おぞましさは自分に向けられた・・・
なら、良かったのだけど。。。
結局、他者をして人間と言っている自分でしか無いのでは、そんな疑問が残った。
こんなぐちゃぐちゃしたことを悩ましてくれるのが、いちいち、「ほんとか?」と問うてきてくれるのが、実態を見せてくれるのが「目標」ってやつだ。
ここまで、自己肯定ができないでいられるということは、前に掲げてみた目標は、あながち間違っていないのかもしれない。
てやつ。
自分の思いに閉じこもって、オレは間違っていない!、となったら気をつけねばな。
もの考えられなく成ってきたってことでもあるし。
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