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罪悪感のその後




(記事の内容と気持ちに齟齬が生じてしまったため、1度下げました。再投稿です。記事の内容は同じです。)


前回の記事を書き終えた後、辛さがやって来ました。あぁ...やっぱり来た...と思いました。


今なら、向き合える、と思い、長年、自分の心の奥深くに抑え込んでいた罪悪感を、一気に全部吐き出した感じ、放出した感じでしたので、
なんとなく、自分でぶわっと上へ舞い上げた物が、その後じんわりと降ってくるような、そんな感覚で、ゆっくりと辛さが降りかかってきました。


その辛さを感じて、内心少し、気持ちがじたばたしそうになりました。でも、じっとして、深呼吸して落ち着いて、じたばたしない私でいました。


以前なら、その罪悪感へ意識を向けたり、ほんの少しも感じる事は出来なかったものでした。
罪悪感に意識を向け、感じてしまったら、その罪悪感に押し潰されて、身動き出来なくなってしまっていたかもしれません。その時は、本当に、私は向き合う事は難しかったと思います。

今回は、違っていました。
辛く感じても、静かに、じっと自分の感情を感じる自分でいられました。
今、自分の中から出てくる感情がどんなものなのか、自分は何をどう感じていたのか、じっと感じられる自分がいました。

感情を、書いたもの、私は自分で書いたnote記事を見て、罪悪感をゆっくり繰り返し読んで、時間をかけて静かに感じながら、
この気持ちは自分で感じ切るもの。自分で共感して、自分を慰めて、受け入れて消化するもの。
別のこの気持ちは、自分の思い込みからきているもの。
と、1つ1つ感じて区別しながら、また感じ、平常通りに日常を過ごし、今、少しずつ、乗り越えようとしています。
舞い上げた感情(罪悪感)が、時間の経過と共に降りてきて、今、それらが静かにそれぞれの場所に落ち着いていく時に、感情を整理整頓して置く作業、または捨てる作業、をする事が出来ているように思います。
以前は辛く、1番向き合えなかった気持ちに、初めて向き合っていると思います。

そして、この気持ちを、自分で乗り越える事が出来たら、辛く苦しい時にもう戻らない(戻れない)事も、最近の、この繰り返ししてきた経験でわかったので、安心して、今の自分の感情と向き合えています。
今回の私は、両親や叔祖父など、複数人の人への罪悪感を一度に全部解放して感じてしまっているため、1人1人への感情、1つ1つの感情を消化していくのに少し時間がかかると自覚しているところです。

向き合う事を続けてきて、
自分の感情を自分で俯瞰して見ている、客観的に見ている自分がいます。
以前の私は、罪悪感は、ずっと私が背負って生きていく物だと、そのくらいの事をしたんだから、もう、私は私の自分の人生を歩みながらも、罪悪感は一生ずっと抱えて生きて行くんだ、と、そんなふうに思っていました。
少しずつ、それは違うんだ、という事を学び、
今は、以前とは違うと、noteを始めた時の私から見ても、内側が変わってしまった、と感じています。
辛かった経験は必然だったんだと感じ、自分にとって全部が必要な経験だったんだとわかり、
罪悪感も、丁寧に向き合った後に乗り越えて、その後は、今までとは違う心持ちで、生きていけるのではないか...と思っています。



お読み頂き、ありがとうございました。




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