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ワイドショーの罪と罰。

 テレビ朝日の玉川徹氏が、先日行われた、いわゆる安倍元総理大臣の「国葬」における、菅前総理大臣の「弔辞」について、「電通が入っている」などと虚偽の発言をしたとして、10日間の謹慎処分を受けた。

 この「10日間の謹慎」というのも、それが明けたらまた番組に復帰するということで、「ただの休みではないか」という批判もすでに起こっている。

 彼はテレビ朝日の朝のワイドショー「モーニングショー」にレギュラー出演し、いわゆる「コメンテーター」をしている。しかし、何の専門家でもない、ジャーナリストでもない一社員が、なぜ「コメンテーター」という立ち位置でいられるのか理解に苦しむ。
 この番組が特にひどいだけで、他にも報道番組に、その道の専門家ではない人が出演してコメントをしている。なぜ日本ではこのようなスタイルが採用されているのか。
 あるニュースに対して、それをどう受け止めるかは人それぞれだし、誰も専門家ではない人の意見など求めていない。特に「自称」芸人が出演して経済や政治の問題にコメントするのは意味が分からない。本当にその問題に問題意識があって、何か意見があるなら、自分のSNSやブログに書けばいい話。おそらくテレビ局のプロデューサーとかから「こういうことを言ってください。」と言われているんだろうけど、あくまでも「自称」芸人ならその芸で勝負すべきであり、経済なら経済の、政治なら政治の専門家がいて、多少のバイアスはあるにしても、その人たちに解説は任せればいい。
 そもそも、ワイドショーなど誰が見ているのか。普通に仕事をしているまっとうな人間なら、ワイドショーをリアルタイムで見ることはできないはずだ。土日が仕事で、平日が休みの人でも、見ることができるのは週に2回が限度。仕事は午後からという人は、午前中のワイドショーなら見ることはできるかもしれないけど、午後のワイドショーは見ることができない。つまり、ワイドショーの主要な視聴者層は、現在仕事をしていない人たちということだ。その中には、仕事を引退した高齢者もいるのだろうけど、そういう人たちこそ、このような低俗な文化とは距離を置いてほしいと思う。
 こういう、ろくに働きもしない(つまり、国民の義務を果たしていない)人間に対して放送するのがワイドショー。何らかの事情で社会から排除された人に対応するため、分かりやすく手軽なものが求められるということで、これまでワイドショーではインパクトの強い内容が放送されてきた。内容が真実かどうかは二の次である。今まで玉川氏に限らず、どのワイドショーでも同じようなことが繰り返されてきた。それについては不問とするのに、今回は電通が絡んだため謹慎されるに至ったと見る向きもあるようだ。
 もともとワイドショーでは、芸能人のゴシップを中心に扱っていた。各局に「芸能レポーター」という人がいて、芸能人の自宅に張り込んだり、(当時は今ほど個人情報とかプライバシーとかという観念がなかった)成田空港の動く歩道で芸能人を待ち構えて、歩きながらインタビューをとったりしていた。しかし、芸能人自身が、ホームページやSNSなどで、自分の言葉で発信することができるようになり、また虚偽の情報が流されたとしても、それを否定することもできるようになった。そこで、ネタに飢えたワイドショースタッフが次に狙ったのが、政治や経済などのニュースである。それを「分かりやすく」伝えることに活路を見出そうとした。こうして「ワイドショー政治」というものが誕生した。この「ワイドショー政治」の隆盛は、近年の「失われた〇〇年」と軌を一にするのは偶然ではないだろう。これぐらいなら、まだワイドショーは芸能人のゴシップを追いかけている方がよかった。(芸能人には悪いし、それでも限界はあるだろうけど。)
 ワイドショー政治を排し、「失われた〇〇年」から日本を取り戻すには、ワイドショー自体を廃止することが一つの方法である。現役世代は、仕事に家事に育児にと忙しく、なかなか政治まで頭が回らない。本当は望ましくないのだが、このような余裕のない状態を作っているのも政治である。一方で、ワイドショーの主要な視聴者層である無職の層は、時間があるうえに、社会参加に飢えている。ワイドショーで「分かりやすい」扇動を受け、その通りに行動してしまう。ワイドショーがなくなり、その扇動を受けなければ、日本の政治ももっと良くなるかもしれない。
 前半にも書いたけど、そもそも「ニュース」に解説とかコメントとかは必要ない。分からないことがあれば、何でも検索して調べられる時代である。公正で中立的な報道のためには、「コメント」を廃することが近道である。それによってニュースの本数を増やすことで、偏りを少なくすることができる。
 そして、ワイドショーが放送されなくなったとしたら、何を放送するかという問題があるかもしれないが、それも考える必要がない。「何か番組を作って、その時間を埋めなければいけない」という発想自体が時代遅れだという話を、私は以前した。24時間TVer化ともいえるこの方法、アクセス数のわりに一つもスキがついていないけど、改めて読んでいただきたいと思います。


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