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ポンコツの戯言

ただいま。
本日は感情的なので、読むのにはお気をつけください。


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今日1日本読んでは眠ってを繰り返してた。昨日の症状が尾を引いていて、薬も欠かせない。

でも朝はきちんと起きて息子にごはんを用意し水筒を持たせ送り出した。ごめん、夫には何もできなかった。最近の朝、私はかなりポンコツだから。笑

塾の近くを買い物で車で横切っただけなのに、過呼吸再発。これにはもう心が折れそうだった。近づくと苦しいのは、よくあるやつ。こうして、この場所を避けることで苦しみを回避するようになる。行ける場所がなくなって、そこから自己肯定感が下がり、自分はなんて情けないんだ!と泣きたくなる。そうはならないようにしたいと思いつつも、なんとか呼吸を整えて帰宅。…でもやっぱり、仕事の度にこれじゃあ私生活が回らない。別に本業じゃないし、辞めるか。うん、辞めよう。そう思ってさっき連絡した。もともと軽いやり取りの末のお手伝いだったし、人数減らしたいとも言ってたからまあいいでしょう。知らんもう。

先生は悪くないけれど、先生が発した言葉がなければ過去のPTSDを蘇らすことはなかったし、教育の場というものに恐怖は感じなかった。今の私では、恐らく息子の学校に行くにもパニック発作が起きると思う。あ、思っちゃダメだ、本当に起こるから!

とりあえず、教育の場は私は本当だめだな。自分の教育機関での学習期間、よく耐えて行ったものだ。…不登校になりかけそうなとき、いつもタイミングよく心を開ける先生がいたことは、本当に私、恵まれてた。高校だけ恵まれなかったけど。まあ仕方ない。私もそれなりに荒れてたからな。

息子の感受性が幼い頃の私にそっくりで、つい手助けしたくなる。でもそれって、過去の自分を助けて自分が楽になりたいんだろうなあ。

頑張れって言いたくないのに、頑張れを込めた行ってらっしゃいをしないといけない朝が辛いよ親として。いや、親としてじゃないのかな…この気持ち。

人にこの泥沼の感情を話すことが怖いのに、noteでだけは口を開けるから救われる。ありがとうnote。読んでくれる読者さんもありがとう。

偏見なのはわかってる。わかってるけど、教育の何たるかをわかったように話す親世代の教師大嫌い。私の勤務した塾に息子を入れようと思ってたけど、こんなに先生の考え方が万人向けの子供への考え方しかないなら預けない。

「先生、いつも話を聞いてくれてありがとう」
「先生のところ、皆んなの視線が集まるから行きづらくって」

そう言ってた今年卒園の子だけが気がかりだけど、最後まで先生としていられなくてごめんね。


なんか、今の若い先生達が苦しみ悩んだ末に教員を辞める理由が分かった気がした。気がした、って言うのも烏滸がましいか。そう言う勉強してないくせにごめんなさい。懺悔。

でも、先生に限らず。本当に良心的で、思いやりのある良い人が辞めていくこの社会、本当おかしい。

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