「自分のもの」の話、「自分のものじゃないもの」の話

「自分が大人になったと思うところはどこですか」

ある会社のエントリーシートにあった質問です。
全く奇をてらったようなものではなく、誰もがどこかで聞いたことのあるような簡単な質問でした。
でも私は、昨年の就活中に見たこの質問のことがずっと気にかかっていました。

大人になったなと思うこと、あるっけ?
そもそも私って、もう大人なの?
そう思ってしまい、答えにたどりつけなかったからです。
エントリーシートには、たしか責任感がどうとか、そういうことを書いたのだったと思います。自分の中でしっくりきていなかったので、詳しくは覚えていませんが。


しかし先日ついにこの質問の自分なりの答えを出せたのです。
それは「自分のものと思えないものにも向き合えるようになったこと」です。

音楽を聴いたり、本を読んだりしていると「これは自分のものだ」と思う瞬間があります。
中学生とか高校生のころって、好きなアーティストの曲を聴いて「これは自分のために歌われた歌だ!」と思うようなことがあると思うんです。それはもちろん現実的にはありえないことで、言ってしまえば自意識過剰なんですけど。

「自分のものだ」っていうのは、これに近い感覚なんですけど、そこまで非現実的なものではなくて、要は好きだってことなんです。自分の持っている価値観とか、自分が見ている自分なりの世界とかに沿うものだなっていう感覚です。

たとえば雑貨屋さんにいて、いろんな雑貨を見ていて、かわいいと思うもの、面白いと思うものが色々ある。でもその全部を実際に買いはしないと思うんです。すごく面白いものなんだけど、自分の部屋のテイストには合わないかなとか、かわいいんだけど自分が身につけるには大人っぽすぎるかなとか。そういう風に取捨選択して、自分の部屋に置きたいもの、自分が身につけたいものを買う。
ここで買うものがつまり「自分のもの」なんです。自分の世界に置いておきたいもの。自分の考え方とか趣味に合うもの。共感とまでは行かなくても、この世界に重なってはいるかもと思うものも、含まれます。


中高生の頃、私はこの「自分のもの」を選び出すことに夢中でした。それはいろんな音楽を聴き、本を読み、自分の世界のものだけを探す旅でした。選び出された自分の世界のものを何度も繰り返し味わって、これは別の世界のものだなと思ったらすぐに放り出してきました。

でも最近、この「別の世界のもの」にもちゃんと向き合えるようになってきたように思うんです。
それは「別の世界にも価値のものさしがあること」、そして「自分の世界に入らなくとも自分なりの見方でその価値を捉え直すことができること」を知ったということだと思います。

このあたりの感覚は、ヒラギノ游ゴさんが先日ツイートされていたことに近いと思います(以下ツリーの一部を引用)。

https://twitter.com/1001second/status/987120158505254912?s=21
https://twitter.com/1001second/status/987120719136833536?s=21
https://twitter.com/1001second/status/987121739443273729?s=21
https://twitter.com/1001second/status/987123232112181248?s=21
https://twitter.com/1001second/status/987124071375683584?s=21

ヒラギノさんは「好み」とおっしゃっているものを、私の中では自分に似合うかどうかという感覚もあったので「自分のもの」と書きましたが、いずれにしてもその「外」にあるものに自分なりの価値をつけるということだと思っています。


好きで集めている作家さん以外の本でも以前より気軽に手にとって読むようになりました。
歌詞の言葉遣いが自分と違うアーティストの曲も聴くようになりました。
今まで見ていなかった、本の装丁やライブでのパフォーマンスの素晴らしさに気づきました。
他人の好きなものと自分の好きなものを上下で比べなくなりました。

中高生の頃にしていたことも、大切なことだったのだと思います。自分の世界をこつこつ作りあげること。

しかし、それを経ていま、作り上げた自分のお城の中で遊んでいた私は、そのお城にあるいろんな部屋の窓から、外の風景や他の人のお城を見ることができるようになったのです。
大人になったなぁと思いました。

「自分のものと思えないものにも向き合えるようになったこと」
これが私が大人になったなと思うところです。

#エッセイ #コラム #思ったこと
#大人 #成長

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