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小説 ちんちん短歌 第13話『地獄①』

「そう簡単にちんちんを口にできると思うな」

 隣にいた鹿が建の頭に声を落とす。
 建が顔を見上げると、鹿の胴体部分におじさんの顔があった。
 鹿人間、ではなかった。
 鹿コスプレ人間だった。

「ヤマトの地で、そう簡単にちんちんを口にする人間は死罪になる」

 そんなことはないと思うんだが。

「いや、そんなことはあるのだ」
と鹿男。心を読んだのか、話の先読みをしがちな過剰頭よい面倒くさい男なのか。
 お非違様はその隣で、まんこを広げっぱなしだ。

「鳥や獣と共に群れていくわけではないんだ。人と共に生きていくのだ。社会は厳しい。そんな中で、ちんちんを口にできようものか」

 いや、だから、なぜ、なのか。
 なぜ、鳥や獣のように、花のように、ちんちんを丸出しで生きてはいけないのか。なぜちんちんを詠ってはいけない。口にできない。

 流れる沢の水に沈む下袴、そして、水は静かに建のちんちんを冷やす。
 鹿コスプレ男はゆっくりと建に近づくと、手を生やし、建を立たせる。

「大伴の従者で短歌奴隷と聞いた」
「……」
「地下には潜った事はあるか」
「地下……?」
 鹿コス男はお非違様に振り向く。お非違様はうなづくと、社の戸を開ける。
 穴だ。社の下に。トンネルがある。

「今からお前を地獄に連れていく」

 なんでだよ、と思ったが、鹿コス男はそのムキムキの上腕で建の尻を掴むと、ひょいと担ぎ、その穴の中にぶち込んだ。

 建は穴に、自分の体を擦りながら、ずるずるとだらしなく落ちていった。
 左右の土壁に体が擦れるたびに、その土はまるで声のような音を発する。

 ああ。
 ああああ。
 いががががが。
 かかかかかなしい。
 ととととと。
 とちはは。
 とちははははは。
 とちははえいはひてまたねつくしなるみづくしらたまとりてくまでに。

 ――今の、短歌だったか? と建は落ちながら思う。
 トチハハという聞きなれない言葉。しかし、後半は少し意味がとれる。
 水く……白玉を取るまで?

 と、そんなことを想っている間も、建の体はどんどん地底に落ちていく。勢いがすごい。風だ。下から吹き上げる風がすごいのか、建の落下速度が速いのか。肩やひじが土壁に当たると、本当に痛い。手足をぴんと伸ばして止まろうとできなくもないかと思ったけれど、こんなところで止まったところで、結局何になるだろう。
 建は手足を縮こませ、落ちるに任せる。
 肩や頭が土壁にぶつかる。だがそのたび、また土壁の擦れる音が、何かに聞こえるのだ。

 ががががが。
 かむかかかかむかみみかみみみ。
 かみつかみつかみ。
 かみつけのあそのまそむらかきいだきぬれどあかぬをなどかあがせむ。

 ――なんだ。今、「抱き」って、「寝る」って歌ったのか? セックスか? たぶん露骨にセックスの歌なんだろうが、序盤がわからない。「かみつけのあそ」。固有名詞なのか。しかし、何かなんだろうな。「かみつけのあそ」の……「まそむら」がわからないが、「まそむら」を抱くみたいに寝る――つまりセックスするけど、飽きない。俺はどうすればいいか、てか?

 知るものか。
 しかし、この土壁を震わせると、どうやら聞いたことのない短歌が空気の震えとして建の耳に入ってくるようだ。
 まるでこの壁は、筒だ。というか、喉のようだ。そして建は、自身が空気になった気がする。空気が、壁の「ほぞ」に触れると、振動し、それが「言」となって周囲に響き渡る。
 だが、これが喉であるなら、本来声は上に行く。
 下に行くという事はどういうことなのだろう。

 うんこか。
 建は実は、うんこや屁になって、腸や尻穴を傷つけ、短歌を鳴らしながら、下へ、下へ、ただ下へ下っているのではないか。

 なんで俺は、こうやって地獄に落ちているのか。
 鹿コス男は、なんだって、俺を、地獄に。

 あれは「さるまる」だったのではないかと、建は思い始めた。
 さるまるはネアンデルタール人だ。ネアンデルタール人は巨躯で腕力が強い。あの腕の太さ黒さは、ネアンデルタール人そのものだ。
 さるまるはしかし、死んだはずだ。知らないけど、一世代前の人間だ。生きているはずがないし、生きていたら絶対歌を詠っていたはず。なにせ、伝説の短歌奴隷なんだ。ずっと短歌歌って、死んだんだろう。知らないけど。

 ……いや――どうだろう。飽きたのかもしれない。一〇〇歳になって、短歌が面倒くさくなったというのはある。
 好きでも飽きる。どんなに自分の心の支えでも、めんどいときはめんどい。

 建も、「大伴家持に暗記した短歌を見てもらえる」という奴隷業がなければ、短歌にけっこう飽きる時はあった。結局三一文字だし、意外と生活の実感にない歌を覚えさせられた。どこかでうっすら、ミカド賛美みたいなテーマがある歌が多かったのだ、都で暗記していた時のやつは。
 在ヤマト百済人の建としては、ミカドにあんまり敬意を感じてない。だって血筋で言えば、建には、ヘボだが王位に就いてオリジナル年号を発したこともある公孫淵の子孫だ。「王」と「ミカド(帝)」でいえば、そりゃあ、帝の方がちょっとランクが高いけど、所詮地方で勝手に名乗ってるミカドだしなあ、封禅だってやってないだろうし。

 ぐしゃり。

 建は地に伏していた。
 ぐたくだ思っているうちに、穴の底にきたのだ。
 そこは森のようだった。
 暗く、木々が乱立し、しかし草の発育が悪く、地面には頼りない細さの草がくるぶしほどにしか生えていない。
 天井を見れば、穴など見えず暗く、星も見えない。

 おそるべき速度で落下した建は、しかし、体にはどこも異常がなかった。普通に即死してもおかしくない叩きつけられだと思ったが、これはやはり、建はうんこか屁になっていたからかもしれない。

 これが地獄なのだろうか。
 臭い。空気も薄い。なんか、体がだるい。ちんちんもいたい、ひりひりする。土壁に擦れた腕や足も、なんか、かゆい。そして寒い。
 つらい。
 だるい。せつない。こわい。さみしい。
 建は身体を丸めながら、しかし、この場にとどまっていたらだめだなと思い、あてもなくさまよい始める。

 やがて、少しだけ開けた場所に出た。

 知らない動物がぶっ倒れていた。前髪のようなへんな毛が垂れている謎の動物。全体的に白く、しかし、ツノがあり、それらは湾曲している。

 七千体ほど倒れている。

 みんな死に、みんな腐り、みんな虫にたかられている。見れば、炎というか、雷にでも打たれたかのような跡があり、凄惨な死に方だ。
 それは羊だと、建は気づく。ヤマトではあんまり見ない動物たち。百済でも珍しい家畜で、建はほとんど初めて見た。それらは、誰かの手で飼われていたのか。

 七千の羊たちの死の真ん中くらいに、ヤマトでは見慣れない、石造りの建物があった。
 建は、喉が渇いて仕方がない。歌を詠おうにも、喉が掠れて力が出ない。一杯の水を貰おうと、その建物の中に入る。

 鬼がいた。
 鬼というか、これはにんげんなのか。
 家の中央の暖炉の灰の中に、全身が膿と瘡蓋にまみれ、陶器の破片で全身を掻きむしっている男。
 衣服も纏えず、ちんちんを丸出しのまま、男は、ちんちんの付け根あたりを陶片でかきむしっていた。ちん毛が生えているあたりが一番かゆいのだろう。そこからは血が出ていた。

「……なにゆえ、わたしは胎から出でて、死ななかったのか。腹から出でたとき息が絶たえなかったのか」

 あー、地獄っぽい。
 俺は、もうだめなんだろうなと、思った。

 (つづく)


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