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子育てをしていて思うのは、

言うことのほうが簡単で、
言わないことのほうが難しい。

ということだ。

たとえば小さい時は、

「いったん止まって、右左みて!」
「ちゃんとつかまって!」
「周りをちゃんとみて!」
「よそ見しないの!」・・・

ちょっと人通りの多い場所に外出したり、公共交通機関を利用しようものなら、あふれるほどの注意が口から出てくるだろう。

小学生になってからはというと、

「宿題した?」
「手紙出した?」
「こぼすよ!」
「前も言ったでしょ!」・・・

勉強に関することで小さな注意が増えていく。

これは「お母さんの小言」というよりは、お母さんでもお父さんでも、子供と一緒にいる時間が長い人ほど、注意したくなるようなポイントを発見する機会が多くなるので、「子供と長く一緒にいる人の小言」と言えるだろうな、と思っている。

私自身は前にも書いたかもしれないが、基本的には、「子供は子供」「自業自得」という気持ちで生きているので、何かあったら子供がどうにかするだろうと思っているし、言うほどのパワーもない。なので、かなりほったらかしだ。

醤油をこぼしたらふけばいいし、忘れ物したら自分でなんとかしたらいいし、テストの点が悪かったらそのままにするも勉強するも自由だろう。体操服を出さなかったら洗濯してないまま、また持って行って着ることになるだけだ。さすがに白衣は次の人のために洗濯しなければいけないので、それだけは「人に迷惑がかかるから」という理由で注意をしている。ちなみに、夏の体操服も、匂ってきたら周りの人に迷惑だから、できるだけ毎週出すようにとは言ってある(出てこないけど)。

さて、そんな私だが、やはり中学受験には魔物が棲むのか、スケジュールが遅れてくると、口を出そうかどうか悩んでしまう。

いや、正しくは、口を出したいというよりも、長男は、私が口を出すことを望んでいるのかどうか分からなくて悩んでいる。

具体的には、今また予習シリーズの進捗が予定表より2週間くらい遅れている。そして、昨日、帰宅後はずっと遊んでいて、何もしないまま夜ごはんの時間になったのだ。

ここで私が「そろそろ始めようか?」と言えば、たぶん長男ははじめるだろう。今までもわりとそうしてきた。しかし、なんだかこれだと私が勉強をさせているようでなんだか心苦しい。

私はそもそも中学受験をしてもしなくても、どちらでもいいと思っている。だから、しないならそのまま好きにさせればいいのでは?そう思う一方で、今しなければどんどんスケジュールから遅れて行って受験日に間に合わないかもしれない。私が誘導することで、スケジュールをなんとかこなして合格できたら、長男はそれを望むんだろうか?

かの有名な佐藤ママ(子供4人全員が東大理Ⅲ)は、ざっくりいうと、「子供はほっとていもしないから親がさせるべき」という持論だし、それもその通りだとも思う。

でも私はやっぱり、子供の気持ちを優先したい。
それが不安定で未熟なものでも。

ということで、さっそく長男に聞いてみた。

「私が『そろそろやろか』って勉強の声かけすんのってどうなん?してほしい?それともほっといてほしい?どっちがいいんやろ?」

「うーん、時間に気付いてないときは言ってほしいな」

「でも、気付いてないんか、気付いてるけどはじめてへんのか、見た目だけでわからへんけど」

「うーん、じゃあいいや!」

ということで、あっさり声かけなしになりました。

とりあえず、1週間、声かけなしで自分でやるそうだ。

私も「言わなきゃ」っていうのがプチストレスだったので、しばらくノータッチで、別のことに集中しよう。

どうにも子育てをしていると、ついつい頭で考えるより先に、口から言葉が出てしまってよくない。しゃべりすぎるんだろうな。

意識して言わないようにしなければ。小さい頃からどちからといえば、人見知りであまりしゃべらない自分が、しゃべらない努力をすることになるとは、子育てとは奇妙なものだ。

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