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大切なことは、いつも言葉の外にある

我が家には小5男・小4女・年長男の3人の子供がいる。

3人の子供たちはみんな、程度の差こそあれ、人見知りでおとなしい。授業中手をあげることもないし、自分から知らない子に話しかけたり、積極的に新しい友達を作ろうとすることもない。

特に長男は、小さい頃から引っ込み思案だった。幼稚園の頃、係の用事で保育時間中に幼稚園を訪れた時のこと。ちょうど自由遊びの時間で、長男がポツンと1人で歩いていたのを見かけた。その次も、その次も。大抵1人だった。そんな長男の姿を見ると、心がキュッと痛んだ。

長男は自分から幼稚園のことを話さなかったし、私もあえて聞かなかった。ただ1度だけ「今日、〇〇くんが遊ぼうって言った」と話してくれたことがある。友達ができるかも。。そう期待して長男に聞いてみた。「なんて言ったの?一緒に遊んだの?」

すると長男はこう言った。「ううん、何も言わなかった。」私は正直、がっかりした。せっかく友達ができる機会だったのに。ちょっとイライラしていたと思う。たたみかけるように長男に聞いてしまった。

「言わなかったの?言えなかったの?」

長男の答えは「言えなかった」だった。

当時、私は学童でパートで働き、自宅学習で保育士の勉強をしていた。そのテキストでみた「場面緘黙症」に、長男はあてはまるのではないかとドキリとした。「場面緘黙症」とは、ざっくりいうとある場面・状況で話せなくなる症状のことだ。幼稚園でほとんど話さないのもそのせいではないか?

いったんそう思うと、いてもたってもいられなくなり、行政の発達相談に申しこんだ。およそ30分程度の面談の結果、「おそらく今は一時的には場面緘黙の症状はあるかもしれない」という、なんともあいまいなものだった。「とりあえず、経過を見ましょう」「また半年後に来てください」と。

その後、再び相談に訪れることはなかった。年長になってしばらくした頃、ようやく幼稚園でも笑顔で友達と話せるようになったからだ。ほんの2、3人に対してだけだけど。

その後、長男が小学校に入学する数か月前に引っ越しをした。おとなしい長男は、友達どころか1人も知り合いがいない状況で小学校生活をスタートさせることとなった。

私は静かに覚悟していた。

またずっと独りぼっちかもしれない。
不登校になるかもしれない。

もし「行きたくない」って子供が言ったら、
「いいよ」って言ってあげよう。
「大丈夫だよ」って言ってあげよう。
「学校行かなくても平気だよ」って言ってあげよう。

そう決めていた。

現在、長男は小学5年生だ。私の予想はいい意味で裏切られ、今のところ、元気で学校に通っている。相変わらず学校の話も友達の話もほとんどしないし、放課後、遊びに行くこともない。でも、毎日「行ってきます」と、学校に通っている。それだけで十分だ。

長男が産まれて11年。お母さん11年を経験して、

「1人でも、友達といても、長男が楽しいと思える時間ができるだけたくさんあればいいな」

と最近は思っている。友達がいるか、何人いるか、それは表面的なこと。子供本人の内面の充実を大事にしよう。

ずっと人見知りでおとなしくて、人前で話せなかった長男を見守るとき、勇気づけられていた言葉がある。どの雑誌かも忘れてしまったけれど、俵万智さんの言葉だったと思う。

「大切なことは、いつも言葉の外にある」

そうだよね、話さなくても、たくさん思っているよね。言葉にできない言葉があるよね。大事にしているから、すぐには出てこないよね。

この言葉を支えにしながら、長男を見守ってきた。

これからも長男の、言葉にできない言葉を、心でたくさん聞いていけたらいいなと思う。

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