だって「旅人さん」だから/『すきまのおともだちたち』
ふとした瞬間に違う世界に入り込んでしまう。
そんな異世界系の展開なんてよくある話なのに、この物語に無性に惹かれてしまうのはなんでなんだろう。
登場人物も極めて少なく、基本的には「私」と「おんなのこ」と「お皿」だけだ。
お皿はしゃべるし、店員さんはネズミだし、おんなのこは生まれたときからおんなのこだったのだそう。両親はおらず、ある日いきなり「おんなのこ」として生まれてそれを受け入れて生きている。
普通に話すし、立派に生活もしているけど「私」の世界の常識とは少しずれていてなんだか不思議だ。
そんな場所に「私」はふとした瞬間に紛れ込んでしまって、またふとした瞬間に現実世界に戻ってしまう。現実で年を取り、人生を歩んでいくなかでまたふと紛れ込む。
まるでちょっとしたすきまに入り込んでしまったかのように。
すきまだからなのかどうなのか、そこはとても優しく狭い世界だ。
となり町のとなり町はこの町。それだけ。野球場も動物園も海もあるし電車で移動することもできるけど、線路は独立していてどこかに繋がることはない。
なのに読んでいるうちになんだか知っているような気がすると懐かしく感じてしまったのはなぜだろう。
それはこの物語に出てくる「おんなのこ」が「女の子」の概念のようだと気づいてはっとした。
おんなのこっていうのは車の運転はしないし、準備に時間がかかるものだし、旅に出たりはできないものだ。おしゃまだし、しっかりしていてどこか現実的だけど出かけるときはどこでも砂遊びができるようにシャベルは欠かさず持っていく。
だって「おんなのこ」っていうのはそういうものだから。
それはここの世界に登場する全てのものに対してもきっとそうだ。
しゃべる「お皿」はプライドが高くてびっくりするとすぐに割れてします繊細さを持つ。確かにお皿って少し冷たいし、プライドが高いと言われたらそうかもしれない。パーティの多いお邸に住んでいたなら磁器だろうし、なおさらだ。お皿の概念からもずれないなと思う。
なんとなく感じている名称に対しての概念がそのまま性格として出てくるから知っているような気がしたのだと思う。
そんな物語のなかで「私」はそんな世界にひょいと紛れ込んでしまう「旅人」の役割を課せられる。
「旅人」って物事に対して詳しくないし、少し常識からもずれている。知らない場所にいくのだからその土地のルールに馴染めないのは当然だ。「旅人」だからという理由だけで彼らは「私」をすんなり受け入れる。
「私」からしたらそこは確かに異世界でファンタジーなのに、向こうからしたらただの「旅人」でしかないなんて。
そのギャップが面白く、妙にクセになる物語だった。
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