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どうしようもなく大人になってしまったあのとき

悔しくて悔しくてどうしようもないことってありますか?

それを感じたのは最近いつでしたか?

最初に感じたのはいつのことでしたか?


***


わたしもそこそこの大人なので今までに悔しくて泣いてしまったことだって何度もある。それは、自分の未熟さゆえだったり、理不尽さに反論すらできなかったことだったりいろいろだ。

だけど、わたしが生まれて初めて「悔しい」と「どうしようもない」と感じたことは対人間関係に関することではない。



近所に図書館があったので、暇があるとよく通っていた。幼稚園にあがってすぐにひらがなを読めるようになり、ひとりで物語の世界に飛び込めるようになってからは、誰のことも気にしないでとにかく本をいつもそばに置いていた。

図書館によって、つくりは異なってくると思うが、わたしの「行きつけ」の図書館は一階がこどもの本で、二階が一般書や専門書の置き場になっていた。なので、まだ漢字があまり読めなかった頃は一階だけがわたしの世界で、そこにある本に囲まれていればわたしは幸せだった。

少し成長して、漢字もだいぶ読めるようになった。そのころになると一階はもうどこに何の本が置いてあるのか、どれを読んで、どれを読んでいないか、興味があるのはどんな本か、すべて把握していたように思う。

つまり、満を持して、わたしは二階に乗り込んだのだ。

二階の本は圧倒的だった。

蔵書の数、字の細かさ、棚の高さ…。

「ぜんぶ読めない」

咄嗟に焦った。一階の本だって全部読んだわけではなかったが、興味があるなと思ったものは全て手を付けたと自負していた。
しかし、二階にある棚の高さはわたしが思っていたよりずっとずっと高くて、到底すべての本が読み切れるとは思えなかった。

面白い本はたくさん存在している。

だけど、たぶんわたしが死ぬまでどれだけ本を読んだとしても、きっとわたしが心底面白いと思える本の大半には出会えずに終わるんだと思う。

そしてそれは、どれだけ努力したところで絶対に叶わないことだと悟った。

「世の中にはどれだけ願っても努力しても絶対に出来ないことがあるんだ」と、わたしは小学生のときに学ぶことができた。

悔しくて悔しくてたくさんの本に囲まれてどれにしようか手を伸ばすことが躊躇われた。だけど、「出会うためにはわたしから動かないとどうしようもない」のだ。

読まないと会えない。

読まないとわからない。

だから悔しくてどんどん読むことにした。

もっともっと成長して、世の中には他にもどうしようもないことがあるって学んで、やりこなす方法を身に着けたりもしたけど、それでも図書館に行くと、やっぱり打ちのめされることがある。全部には出会えないのだと悔しくなる。

だけど、それでもそこに本があったら読まずにはいられないのだからずるいなあと思ってしまう。


わたしのように本や、自然にばつんっとやられたひともいるし、とてつもない大スターを目の前にして悟る人もいて、そして、それにまつわるエピソードは大抵どれも面白いので、よく人に聞いている。

「ねえ、悔しくてたまらないけど、どうしようもないことがあるって最初に悟ったのはいつですか?」



もっともっと新しい世界を知るために本を買いたいなあと思ってます。