僕は旅で読書に目覚めた
本が好きな人なら、必ず好きになった時期やきっかけがあったのではないだろうか。
僕には、小学5年生の甥っ子がいる。僕の小学時代と同じ野球に打ち込んでいる。だが、当時の僕と一つだけ違う点は、本をよく読んでいることだ。
聞けば、学校の休み時間などに一人で図書室に行くこともあるという。しかも週3日くらい。友達いないのかと心配になったが、ちゃんと外で友達と遊ぶ日もあるらしいのでほっとした。
昨年末、実家で一緒に風呂に入ったとき、どうして本を読むのが好きなの?と、甥っ子に聞いてみたら気持ちよく即答してくれた。
「色んなことが知れて面白いから!」
なるほど、確かにそれに尽きるかもしれない。
とはいえ、当時の僕は甥っ子と違った。小学校から高校まで、自分の意思で図書室へ行った記憶がほとんどない。特に高校では、毎日野球ばかりの日々を送っていた。
では、そんな僕がいつ本を読むようになったのか。
それは大学生になってからだ。いや、厳密にいえば大学3年時から大学4年時である。しかも、僕は大学でも野球を続けていた。そして、あまりに白球を追いかけ過ぎた人生にふと立ち止まった時、何か自分の人生に変化を望み始めた。そして、4年時に大学を休学して人生初の海外へ旅に出る。
では、どうして旅に出て本を読むようになったのか。甥っ子を見倣って答えるならば、こういうことだ。
「暇だったから!」
学校へ通うわけでもなく、仕事をするわけでもなく、ぶらぶら旅をする。
海外を放浪すると(自ら進んで野宿をする旅人を除いて)、毎日どこかの宿を探すことになる。当時、ユースホステル(ヨーロッパ版)のガイドブックだけは一冊だけ持ち歩いていた。
そうしたユースホステルや個人経営の小さな安宿に泊まると、少なからずロビーや廊下の隅などに本棚が置いてある。日本人向けに評判が良い宿だと、日本人作家の本や漫画に出会うことも多い。
また、ドミトリー(相部屋)の中へ入ると、ベッドに転がりながら本を読んでいる若者や中年のおじさんをよく見かけたものだ。そうした人たちの姿を見て影響された自分もいる。
ヨーロッパのどこかの宿で、沢木耕太郎の「深夜特急」シリーズを読みふけっている日本の青年がいた。その青年は、完全に心酔している様子だった。
「これ、もう読み終わったやつあるけど読んでみる?」
と、その青年が勧めてくれた。そして、僕も同じ部屋のベッドで本を読み始める。すると、やがて僕はどうなったか。
「なんだこの本!めちゃくちゃ面白い!」
「ハマっちゃうでしょ」
それ以来、旅をしている最中や日本に帰国した後も、僕は沢木耕太郎のような旅行作家の本を読んでみたくなった。そして、行く先々の宿で本棚を見つけるのが小さな楽しみになっていった。
特に偉大な作家が書き残している旅行記は、自分もこんな旅をしてみたい!とか、筆者と同じ国や街へ自分も行ってみたい!と思わせられるのだ。そして、いつのまにか読者は筆者の旅の世界に引きずり込まれている。
だから僕の場合は、旅がきっかけでこうした旅行記を読むようになった。そして、不思議とそれが少しずつ歴史小説だとか自伝とか哲学だとかに枝分かれしていき、色々なジャンルの本にも関心を持つようになったのだ。
例えば、ある一人の作家の本を読んだとする。めちゃくちゃ面白い。そうなると、当然ながら同じ作家の他の本も読んでみたくなる。そして、たまたまその本の中で紹介されている別の作家の本も読んでみる。そして、また別の作家の本を読む。
こうなると、無限のループだ。だから、読書はスケールが大きくて楽しいものなのかもしれない。
今では、週3日も図書室へ駈け込んでいる甥っ子が羨ましい。
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