「私には”恐竜(dinosaurs)”だわ」
アメリカ・サンディエゴのユースホステルに滞在していた時の話だ。
夕食前、さほど広くないラウンジへ行くと若い青年たちが集まっていた。10人くらいはいただろうか。当時の僕と同じ大学生か、場合によっては高校生だったかもしれない。
やけに印象的だったのは彼らが大きな丸テーブルを囲むように座り、全員がそれぞれ自分のノートパソコンに熱中している姿だった。
「将来はIT企業に勤めます」
と、いかにも語り出しそうなインテリの雰囲気が漂う青年たちだった。
*
僕は彼らを横目に見ながら、夕食を自炊するためラウンジの横にあった狭いキッチンに入った。
時々、彼らの話し声も聞こえてくるが何を話しているかはよくわからない。きっと、ゼミやサークルなどの合宿だったのかもしれない。
当時はまだ日本に「iPhone」が発売される前の頃。インターネットは普及していたが、スマホはまだ普及していなかった。
だから、現在のように好きな場所で気軽にネット検索やSNSをすることなどはまだできなかった。
この時、僕も旅を続けながら街中のインターネットカフェを探して入り、家族や友人にメールを送ったり、宿や鉄道の予約をしたりしたものだ。
それだけに、当時の僕でも一人一台のノートパソコンに熱中する彼らの姿は少し異様な光景にさえ思えた。
*
僕は狭いキッチンスペースで黙々と自炊していた。そのうち、ラウンジの方から人がやって来た。
いかにも気品がある、お年を召した小柄な老婦人だった。
僕がこの海外放浪の旅で出会った人の中で最高齢の人だっただろう。ユースホステルでは若者だけでなく年配の方も宿泊しているが、老婦人に出会うチャンスはあまりない。
この老婦人も、パソコンに熱中する若い青年たちのすぐそばを通って来た。
そして、僕と目が合うなり肩をすくめながらこう言ったのだ。
「dinosaurs!」
はっきりとそう聞えた。
ただ、なぜこの老婦人がいきなりこの言葉を発したのか理解できなかった。
恐竜?
その後、狭いキッチンでその老婦人と少しの時間一緒に居たのだが、それ以降彼女が話す英語をまったく理解することができなかった。
僕の乏しい英語力にも問題はあっただろうが、旅先で英語圏出身の人に出会っても全くその英語が理解できないということは時々あった。
英語圏の国でもアメリカ、イギリス、オーストラリアでも言い回しや発音は全然違う。日本の方言のように、同じ国であっても地方によっても違う。
4つの”国”から成り立つ連合王国イギリスはその典型的な例だろう。
この時、僕が唯一理解できたのは、老婦人がイギリス人だったこと、そして僕の作った焼きそばの匂いに「いい匂い!」と言ってくれたことだ。
*
日本に帰国して大学に復学した後、あの老婦人が「dinosaurs!」といったシーンを僕はずっと忘れることができなかった。
ある時、ほとんど使っていない英語辞書をふと気になって引いてみた。
「dinosaurs」- 恐竜
それは分っている。
しかし、よく見るとそこには比喩表現の意としてこう書かれていた。
【比喩】 - 無用の長物、時代遅れの人
はっとした。
その瞬間、僕はあの時老婦人が言った意味をようやく理解したのだった。
「私は”恐竜”よ!」
ではなく、
「私には”無用の長物”だわ」
「私はもう”時代遅れの人”よ」
老婦人は、パソコンに熱中する若い青年たちの姿を見てそう言ったのだ。
日本に戻ってからあの時の謎が解けた時、僕はあの老婦人に親近感を覚えずにはいられなかった。
無性に、あの老婦人が愛おしく思えた。
***
トップ画像は、アメリカ・サンディエゴにて撮影(2006年12月)
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