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冬のベルニナ鉄道 サンモリッツへ

イタリアにティラノという小さな街がある。イタリア北部に位置し、スイスとの国境にほど近い。

夕方、僕はこのティラノからベルニナ鉄道に乗ってスイスへ行こうと、列車の出発を待っていた。

駅では、日本語や韓国語で書かれた案内標識を見かけた。「ベルニナ」と書かれた看板が壁に掲げられていた。よく見れば、その下には「寄贈 箱根登山鉄道」とある。

この時、僕は初めて両鉄道が姉妹協定を結んでいることを知った。

何てことはない小さな駅だったが、アルプス山脈を抜ける山岳鉄道の終着駅。夏場の観光シーズンはきっとたくさんの人で賑わうのだろう。しかし、11月初旬の夕方となれば、僕と地元住人が数人いるだけだった。

しばらくすると、駅の待合所に入国審査官がやってきた。このベルニナ鉄道に乗ると、まもなく国境を越えるからだ。

出発まで、この駅で1時間以上待っていたのではないか。列車が動き始めた時、すっかり日が落ちて暗くなっていた。

僕が乗り込んだ車両には、僕しかいない。

列車が緩やかな傾斜を登っていく。住宅のすぐ横を通ることもあった。

カーテンを閉めている家が少ない。暖色のライトに照らされたダイニングテーブルを囲んで、ディナーを楽しむ家族の姿が垣間見えた。

途中、いくつかの駅に停車した。僕が行こうとしていたサンモリッツまではまだ少しかかる。この列車の終点だ。

反対側の車窓に額と両手をくっつけて、外を覗き込んだ。思わず声を上げてしまった。

暗闇に中に、真っ白な雪で覆われた標高4000メートル級の壮大なベルニナ山脈がそびえ立っていた。それは神秘的であり、しかし恐ろしくなるような光景だった。

列車はどんどん登っている。

ある駅で車掌が、車両の乗り換えが必要だから一度降りてくれ、と僕を呼びに来た。

この時、列車から降りたのは僕だけだった。そして、駅のホームは一面薄っすらと雪が積もっていて、身を縮めるほどの寒さが襲ってきた。

乗り換えた列車はさらに急こう配を登っていき、ようやくサンモリッツ駅に到着した。夜20時頃。もうすっかり夜になっていた。

サンモリッツ駅のホームも雪が薄っすらと積もっていた。白い息が煙のように出るほどの寒さが襲ってきた。ここは標高1800メートルある山岳地帯だ。

僕は、静まり返ったサンモリッツの街を一人歩き始めた。

僕が旅を続けるにあたって、ユースホステルは重宝した。欧米ではよく利用したが、色々な出会いや交流もある。

ドミトリー(相部屋)のドアを開ける時、いったいどんな人がいるのだろうかと心を躍らせる。

ユースホステルに限らず、田舎町の一軒家に泊まることもあった。個人で営む小さな家のドミトリーに入ったら、同世代の日本人青年が泊まっていたこともある。

そうした出会いをきっかけに、色々と情報交換をしたり一緒に街を巡ることも多々あった。

ただ、さすがに旅疲れはするし、たまには一人でゆっくり寝たいという時もある。

サンモリッツのユースホステルに到着し、親切なフロントのお姉さんが出迎えてくれた。予約なしの飛び込みだったが、優しかった。建物の中も清潔感がある。

指示されたドミトリーのドアを開けた。

「・・・・・」

「よっしゃ~!」

僕は両手でガッツポーズをしながら声を上げた。部屋には誰もいなかった。こういう日もたまにはいい。

相部屋を貸し切った僕は、さっそく荷物を降ろしてくつろいだ。

寝る前、片耳にイヤフォンを付けてベッドの上に寝転がり、音楽を聴いていた。そして、ここぞとばかりに歌を歌った。歌を歌いたくなったのだ。

最高に気分が良かった。

自分の声を制御していたはずだったが、気が付かないうちに声量が少しずつ大きくなっていたらしい。時間も時間だった。だが僕はそんなことも忘れて、すっかり調子に乗っていた。

と、まさにその時だった。

「ドンドンドンドンドンドン!!」

「うるさい!」と言わんばかりの怒りの拳が、壁の向こう側から飛んできた。その瞬間、僕は我に返った。

「あっ、失礼しました。ごめんなさい」

僕は、壁の向こう側にいる人に謝った。

部屋がやけに静かになった。そして、僕は静かに眠った。

このサンモリッツで過去2回、冬季オリンピックが開催されている。

1928年(昭和3年)、1948年(昭和23年)の2回だ。

1972年(昭和47年)、アジア開催初となる冬季オリンピックが北海道の札幌で開催されている。(1940年の開催予定が、第二次世界大戦で中止)

僕の記憶に残っている冬季オリンピックといえば、1998年開催の長野オリンピックだ。

当時18歳で初出場を果たした上村愛子選手の笑顔に、当時中学生だった僕はテレビで釘付けになっていた。モーグルで滑っている姿は格好良く、ゴーグルを外したときの笑顔は可愛いかった。

吹雪のなかスキージャンプ団体で勝ち取った金メダル。原田雅彦選手をはじめ、4人の選手が抱き合うシーンは感動的だった。

サンモリッツと同じく、2度も冬季オリンピックが開催された自然豊かな都市が日本にもある。

姉妹協定を結ぶ箱根登山鉄道には、「サンモリッツ号」という車両が走っているらしい。

ひょっとしたらサンモリッツと札幌市は姉妹都市ではないか、と調べたらどうやら違った。その代わり、札幌市に「サンモリッツ」という名前のケーキ屋さんがあることを知った。

もともと名前も場所も知らなかった街だが、今では少し身近に感じている。

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(翌朝、やっとサンモリッツの街を眺望できた)

画像2

(夜のアルプスは恐ろしいが、朝のアルプスは美しい)

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