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外国人に伝える日本の歴史➖飛鳥時代 中編➖

こんにちは!全国通訳案内士のリサです。

京都を拠点に関西地方で外国から訪れる観光客のプライベートツアーガイドをしています。

「外国人に伝える歴史あれこれ」シリーズでは、外国人ゲストに日本の歴史をどのように伝えているのかをお話ししています。

飛鳥時代前編では、蘇我氏が仏教を日本に取り入れていく時代の話をしました。今回は新しいリーダーが天皇中心の日本を作っていく時代のことをお話ししていきます。

新しい国づくりのリーダー聖徳太子

さて、蘇我氏が仏教を日本に取り入れることに成功し(前回の記事を読んでね!)、仏教寺院を立て始めたのが6世紀の終わり頃新しい国づくりが始まりました。

新しい国づくりにリーダーシップを発揮したのは、蘇我ファミリーの一人でもあった聖徳太子(しょうとくたいし)でした。身分が高いだけでなく、賢くて政治力がありコミュニケーション能力も高かったという聖徳太子。彼がどのように新しい国の制度を整えていったのか、次の章から話していきます。

その前に、聖徳太子は英語でなんと呼べばいいでしょうか?
聖徳太子は天皇の皇太子でもあったので、皇太子という意味のprince (プリンス)をつけて、prince Shotoku (プリンスショウトク)と言います。
または、政治家ということを強調して politician (ポリティシャン)としてもいいと思います。
政治にリーダーシップを発揮するのは、天皇ではないの?と思うかもしれません。
日本の歴史では、天皇の権力を利用して政治を行っていた人物というのがたびたび登場します。
この時代では蘇我氏や聖徳太子がそれに当たります。
このように名目上の権力者に変わって事実上の政治を行う人のこと日本語では摂政(せっしょう)といいますが、英語では regent(リージェント)といいます。

He was a prince and a regent. (彼は皇太子であり、摂政でもあった。)

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ところで聖徳太子はとてもミステリアスな人物です。伝説的な逸話がたくさん残っている割には、出生の謎が多いのです。また聖徳太子の名前は亡くなった後につけられた名前で、生きている間は厩戸(うまやど)王という名前だったため、どちらの名前で呼ぶべきか意見が分かれています。
私の場合は、今のところ「聖徳太子」という名前を伝えることが多いです。
これは、外国人ゲストに聖徳太子のことを説明することの多い奈良のお寺では、「聖徳太子」という名前が使われていること多いためです。

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この聖徳太子が目指していたのは、天皇を中心として国を一つにまとめることでした。そのために役立てたのが、日本に伝来したばかりの仏教だったのです。

聖徳太子が目指した新しい国ってどんな国?

聖徳太子が目指していた国づくりは天皇をトップにまとまった国ということでした。ここで課題がありました。それは、天皇以外にも権力の強い豪族(ごうぞく)がたくさんいたことでした。聖徳太子は、この有力な豪族たちの権力を弱らせ、天皇のもとに大きな権力が集まる国づくりをしたいと思っていたのです。

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豪族の力を弱らせ、天皇の力を一気に高めるにはどうすればいいでしょうか?聖徳太子がそこで役立てたのが仏教でした。

仏教って国づくりに役立つの?

現代人の私たちには、仏教を国づくりに役立てたと言われてもあまりピンときませんよね。

仏教とはもともとインドで釈迦(シャカ)が「苦しみから逃れる方法」について説いたものでした。なぜ仏教と国づくりが関係あるのでしょうか?

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仏教を好きになってもらい、国をまとめた

天皇以外にも権力の強い豪族(ごうぞく)がたくさんいたことで、みんながそれぞれ違う方向を向いていた日本。みんなが同じ方向を向いて、一つにまとまる必要がありました。でも、利害の異なるみんなを同じ方向に向かせるって、難しいですよね。

It was not easy to take the initiative in many powerful clans with different political opinions. (意見の異なる豪族の主導権を取ることは容易ではありませんでした) 

権力者が「俺の言うことを聞け!」というだけで国をまとめることが難しい場合はどうすればいいでしょうか?聖徳太子は、仏教という特別な思想を政治の基盤とし、みんなに仏教を好きになってもらいました。仏教を信じることでみんなが同じ方向に向いているという認識を高め、みんなをまとめることができたのです。

Prince Shotoku introduced Buddhism to everyone and made them like the idea (聖徳太子は日本のみんなに仏教を紹介しその考えを好きになってもらうことで), aiming for the unification of the country. (国をまとめようとしました。)

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これを聖徳太子が始めるずっと前からすでに行っている国がありました。お隣の中国です。中国は国土も広く異民族をたくさん抱えていたため、日本に輪をかけてみんなを同じ方へ向かせることが難しかったのです。中国はいち早く仏教を国政に取り入れ、仏教を元にした行動規範となるルールを定めることで「法律」を作り、そのためによく働く「役人」を採用しました。仏教を元に法律と人材の制度が出来上がっていき、国がまとまっていったのです。

聖徳太子は中国から学び、仏教によって法律と人材を作っていくやり方を取り入れました。

Prince Shotoku learned from China (聖徳太子は中国から学び) and adopted the method of creating law and human resources based on Buddhism. (仏教に基づいた法律と人事の方法を取り入れました。)

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ここからは具体的に、聖徳太子がどのような制度を作っていったのか見ていきましょう!キーワードは法律と人材です。良い役人を集めるために役人の制度「冠位十二階」を作りルール作りのために「十七条憲法」という法律を作りました。

役人の制度「冠位十二階」って何?

聖徳太子はまず、「冠位十二階(かんいじゅうにかい)」という制度を作りました。冠位十二階とは、天皇のために働く役人の制度です。
これには、役人の地位を実力主義にするという目的がありました。
なぜそんなことをしたのかというと、天皇のためにちゃんと働いてくれるいい人材を確保するためです。この制度をつくる時にお手本としたのが、先ほど登場した中国の国家運営です。


冠位十二階の制度ができるまで、役人は生まれた家により自動的に高い身分が与えられてきましたが、
この制度ができたことにより、身分にかかわらず能力の高い人が上の役職につけるようになりました。
天皇のためによりよく働く者を昇進させることにより、天皇の力を強める狙いがありました。

聖徳太子は中国や朝鮮半島など先進国のやり方に習って、役人の地位を身につけているものの色で示し、役職が一目でわかるようにしました。
先進国のやり方を真似することで、ちゃんと政治の制度が整っていることを海外にアピールすることができます。

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冠位十二階を、英語で説明してみよう!

冠位制度のことを、英語でCap and Rank System (キャップアンドランクシステム)と言います。
十二階という意味の twelve level(トゥウェルブレベル) を最初につけて twelve level cap and rank system としてもいいと思います。

Prince Shotoku created the Cap and Lank system (聖徳太子は冠位制度を作りました。)

この制度の説明のポイントは、身分にかかわらず、天皇のためによく働いた者が昇進できたことです。

身分にかかわらず昇進できた、って英語でなんて言えばいいでしょうか?
親から受け継ぐ格式のことを、lineage(リニエイジ)といいます。その他に世襲という意味のheredity(ハラデティ)を使ってもいいと思います。
昇進するは英語でpromote(プロモート)です。

Prince shotoku created the ranking system based on not their lineages but their performances. (聖徳太子は身分ではなく実績による役職制度を作り、)Whoever worked hard for the emperor got promoted thus increasing the emperor's power. (天皇のためによく働いたものが昇進できたので、天皇の力が強まりました。)

十七条憲法って何?

次に、日本初の法律「十七条憲法」です。
憲法というよりも、条例というような感じです。
どんなことが書いてあったのかというと、
「仏教を大切にすること」
「政治に仏教を役立てること」
「天皇の命令に従うこと」

などです。

聖徳太子は、「法律の元でみんな平等」というとした上で、みんなが守るべき社会規範を提示したかったのです。みんなが天皇を中心にまとまり、仏教を役立てながら国づくりをするように、この憲法をまとめたのでした。

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この憲法のユニークなところは、「和を以て尊し」と始まることです。
みんなで協力し、協調性を持ってやっていこうということです。
一番最初に持ってくるということは、一番重要だと聖徳太子が考えていたことだと言えます。聖徳太子は人々が心穏やかに過ごしていけるよう、心の部分を大切にした人だったのかもしれません。それまでは争いが絶えなかったということだとも言えます。

これを見て、ずいぶん初歩的なことというか、当たり前のことを憲法で言っていたんだなぁと思いませんか?まだまだ国家としては未熟だった日本において、聖徳太子のような政治家たちが頑張って国の秩序を作ろうとしていた姿がかいま見えるような気がします。

十七条憲法を英語で説明してみよう!

憲法は英語でconstitution(コンスティテューション)と言い、十七条憲法はseventeen-article constitution(セブンティーン・アーティコー・コンスティテューション)ということができます。
ただし、constitutionは現代の憲法のように何章にも及ぶ大規模な法律を想像させる言葉です。
全部で17項しかないということで、条文という意味のarticle(アーティコー)を使ってseventeen articlesと言ってもいいと思います。
または、以下のように「憲法というよりも行動規範のようなものだった」と説明を付け足してもいいかもしれません。

Shotokutaishi wrote the seventeen-article constitution. (聖徳太子は17条憲法を作りました)
It was more like a guideline of behaviours based on Buddhism (憲法というより、仏教を元にした行動規範のようなもので、)
intending to let politicians unite under the emperor's throne (天皇を君主としてまとまり、)
and work to build the country based on Buddhism. (仏教を基盤にして国づくりを進めていくよう示したものでした。)


いかがでしたか?
仏教で新しい国づくりをしていく日本を、リーダーとして率いた聖徳太子について紹介しました。
この後日本はさらに国のルールを確立していきます蘇我氏に変わる新しい勢力や、聖徳太子に変わる新しいリーダーも登場します。
次回をお楽しみに!

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