(物語)ふたりで暮らすこと

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上記の作品等をお読み頂くと、どんな二人の話か分かると思いますが読まなくても特に支障はありません。
本を販売させて頂いた際の書き下ろし掌編その7です。


 水槽に入れていたビニール袋をそっと破る。中の水に押し出されるようにゆっくり出てきた二匹の金魚は、しばらくゆらゆら漂った後、すい、と泳ぎ始めた。
 引っ越し最後のその作業が終わって、私はほっと息をつく。
 細々したものを入れた段ボールはいくつか残っているけど、これは時間を掛けて片付けていっても問題ない。
 ぐいーっと伸びをしていると、あなたの声が聞こえて振り返った。
「お疲れ。終わった?」
 頷くとあなたは微笑んで、私の隣に並んで水槽を覗き込む。
「元気そうだね」
「うん。多分問題はなさそう」
 今日から、私たちは二人で暮らす。

 一緒に暮らそう、と最初に口に出したのは私だったけど、陸は随分具体的に考えていてくれたらしくて、いくつかの物件に目をつけてくれていた。
 多分拒否はされないだろうなと思ったから。なんて言われて、何となく居た堪れない気分になってしまったのは内緒だ。同じことを考えていなかったとしても、断る選択肢がなかったのは確実だったから。
 すぐに内見の日も決まって、二人揃ってこの場所を気に入って、あれよあれよという間に色んなことが決まってしまった。
 こんなに順調だと何か見落としがあるのかも、なんて不安に思わないでもないけれど、結局あれから二か月経たずに引っ越しを完了させてしまっている。
 何とかなるだろうって楽天的なところは、私たち二人とも変わらないんだ。

 二人ともそれなりに一人暮らしが長かったから、2DKの家を選んだ。
 広めの部屋を寝室にして、もう一つの部屋にはとりあえず棚と小さな机を置いている。それぞれに趣味があるから、趣味の部屋みたいにできたらいいねなんて言ってるけど、長く暮らすなら物置みたいになっちゃうかもな。
 どちらもそんなに散らかすタイプではないし、ぐちゃぐちゃになっちゃう心配はないだろう。多分。
 私が元々住んでいた部屋は作り付けの家具が多かったから、大きな家具は陸の家にあったものをそのまま持ってきた。
 テーブルもソファもベッドも陸の家で使っていたそのままだから、何となく陸の家に私が引っ越したみたいで面映ゆい。多分ゆっくりと、私たちの家になっていくんだろうな。

 段ボールや細々したごみをひとまとめにして、ざっと掃除を終わらせてしまうと、外は真っ赤に染まっていた。
 どこからともなく美味しそうな匂いが漂ってきて、二人してお腹を鳴らしてしまって笑う。
「お腹すいちゃった」
「もうご飯にしようか」
「そうしよ。お弁当買ってて良かったね。今からご飯の準備とか、ちょっと無理」
「確かに」

 使い勝手は今までと変わらないテーブルにお弁当を広げる。じんわりと疲れていて、いつもよりも静かな食事。
 昨日は家族や友達に手伝ってもらって大物を運んで、せっかくだからって皆でお蕎麦を食べたんだ。
テーブルはぎちぎちでほとんど立ち食いみたいになって楽しかったな。
 それから考えると、バタバタと作業を終えた後の二人の食事は静かだ。何というか、まるでお祭りが終わった後みたいな感じ。ほんのりとソワソワする、そんな気分。
「花」
 あなたの声に顔を上げる。
「そっちに回ってもいいかな?」
「いいけど。狭くない?」
 立ち上がったあなたが私の隣に移動して、広くないテーブルは少し窮屈になった。
 少しだけ体が触れ合いそうになる距離に、どうしてか心臓が跳ねる。
「疲れたね」
「うん、何か、じわじわ疲れてきてるかも」
「細々整えてくれてありがとう」
「いやこっちこそ、大物は大体やってもらったから」
 小さく笑ったあなたが、そっと私に体を寄せてきて。また一つ、心臓が跳ねた。
「花。僕は多分、すごく浮かれてるんだと思うんだけど」
 言葉の通り、あなたの声は少し明るい。
「君のいる家が、僕の帰る場所になるのが嬉しくて。多分すごく浮かれてて」
 あ、そうか。
 ここが帰る場所になるんだ。あなたとこうやってご飯を食べて、じゃあまたねってしなくていいし、どこかに行っても、二人でここに帰ってくるんだ。今日からもう、そういう風になったんだ。
 あなたの言葉が、胸にじわりと広がって、嬉しくなってくる。我ながら、すごく単純。
「多分、その、色々と、至らないところもあると思うし、ずっと一緒だから、息が詰まるとか、そういうこともあるかもしれないし。だからちゃんと言って。僕は聞くから」
「うん。うふ、ふふ、うん。陸もちゃんと、言ってね」
「うん」
 あなたと一緒に暮らせることが。あなたがそれで浮かれてくれることが。それをこんなに喜べてしまうことが。みんな嬉しい。
 あなたが寄せてきてくれた体に、私の体を押し付ける。
 これからもずっと、よろしくね。
 この幸福に、名前はいらない。


(蛇足的な裏話)
知人のお母さんが、とにかく金魚を長生きさせるのに長けた人で、子供の手でも簡単にすくえてしまう位弱っている金魚でもたちまち元気にしてしまうような人でした。
花ちゃんのお母さんは、そんな人です。
(何の話だろ??)

まぁそんなわけで(?)最後の書き下ろしは、お引越しの当日の物語になりました。本の中では、ハロウィンのちょっと前くらいです。陸くん決まってからの行動が早い。
「花粉症の彼女」のこの本は、欲しいとご連絡頂いた方に購入ページを案内するという、とても面倒な手順を踏んで頂いた本です。本を手作りするのにも慣れていなかったので、お試し、のような形での販売になりました。(今は慣れたかどうかは分からないけれども、開閉に耐える本は作れていると思います。おそらく。)
書き下ろしもこのような形で公開することはアナウンスしていたので、紙の本で欲しいんだという方だけに渡ったのかなぁと思っています。
本は他にも写真とか裏話とか色々詰め込んで騒がしいつくりでしたが、楽しんで頂けていればいいなぁと思います。

ふたりの物語は、本を刊行した後もずーっと続いています。X(旧twitter)上では、代表作みたいになっているような気もします。
恋人同士のふたりが、ただただ幸せに生きているだけの物語です。それがこんなに続けて読んでいただけていることを、とても嬉しく思います。(実は今日はふたりの二周年だったりもします。大変ありがたいことです。)
これからもふたりをどうぞよろしくお願いします。