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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(73)

〈前回のあらすじ〉
 竹さんが避難してきていると思っていた敬光学園に、竹さんの姿はなかった。一度水族館から避難したものの、隣町から水族館に引き返してしまったそうだ。それを知った黒尾は、一人で水族館に向かった。かおりのヒーローになれと諒に言い残して。

73・生きるための輝きを放つ

 余震はいつまでもやまず、被災者たちに安堵の時を与えてくれなかった。昼夜を問わず敬光学園には次々と被災者が詰めかけ、最早十分な寝食を与えられる場所ではなくなっていた。

 すでに敬光学園が蓄えていた食材は底をついていたので、自衛隊が配給にきた食事や全国から送られてくる支援の食材を敬光学園の職員やボランティアが寝る間も惜しんで被災者に配り続けていた。

 僕もかおりも被災者の一人ではあったが、日々ボランティア活動に専念していた。そうすることでかおりの父親や竹さんのいない不安を誤魔化すこともできた。

 僕は一度白石さんが運転する公用車に乗って母親に会いに行き、すでに福島に帰ってきたことと丨直《ただし》の思いを僕なりに受け止めてきたことを伝えた。母親は根掘り葉掘り旅の話を聞くようなことはせず、ただ僕の無事と直の帰還を喜んでいた。そして、僕は敬光学園でボランティア活動をしながら竹さんを待つことを伝えた。そして、帰り道に僕の家で降ろしてもらい、僕はマウンテンバイクを漕いで敬光学園に戻った。

 敬光学園は断水していなかったが、何しろ宿舎も講堂も収容人数をとっくに超えていたので、トイレも風呂も洗面所も不衛生極まりなかった。支援物資は届き続けるが廃棄物の回収は来ないので、ゴミが溜まる一方だった。

 人間とは傲慢な生き物で、こうして文化的な生活を奪われなければ、自らの浪費と搾取を省みることができない(それでも省みない人も多かったが)。僕は改めて、マナティーと出会ってしまった直の苦悩を慮った。

(なぁ、直。もしかしてお前は、やがてこんな日が来ることを予想していたのかい。僕ら人間が、いつか身を持って自らの愚かさを知る日のことを。そうだとしたなら、随分とひどいじゃないか。こんなときこそ、お前の叡智を役立てるべきだというのに、お前はもういないじゃないか。これは、僕に与えた試練かい?それともふわふわと無為な暮らしをしてきたことへの罰なのかい?どちらにしても、大した宿題だよ)

 僕は、貪欲に配給のパンやおにぎりを奪い合う怒号や深夜のいびきや飼い犬の臭いで飛び交う口論を聞きながら、そんな独り言をつぶやいていた。

(でもね、どんな結果になるかなんて想像もつかないけれど、僕は乗り越えられるような気がしているよ。かおりやお母さんもいる。直が好きだった竹さんも黒尾もきっと無事でいるはず。みんながいれば、きっと大丈夫)

 僕は、未来を悲観し、路頭に迷う目の前の人たちを「美しい」と思った。直を一途に思い、三保の海に身を投げて寒さで震える柳瀬結子を美しいと思ったように。

 自然の前ではどうしようもなく弱い僕らは、家や家族を失い、刻一刻と迫る不安に押しつぶされそうになって、初めて「生きる」ための輝きを放つのだ。

 そんなとき、僕らに一層の光をもたらしてくれたのは、竹さんの帰還だった。

 黒尾が竹さんを救出に行くのだと一人で水族館に向かってから一週間が経過したある朝に、竹さんは忘れ物を取りに戻ったかのように平然とした顔つきで敬光学園に現れた。その小さな体躯に不釣り合いな大きな綿入り半纏を羽織り、錠の壊れた自転車に乗って。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(74)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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