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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(71)

〈前回のあらすじ〉
 ようやく家にたどり着いたまことは母親が不在であるものの、家で身動きがとれていなかったり、絶命していないことにひとまず安堵した。避難所となった近所の公民館へ行くと母親が炊き出しのボランティアをしていることに諒たちは驚いた。それも、直のピーコートを着て。

71・今の私、嫌い

 それから僕らは再び黒尾のワンボックスカーに乗り込んで、かおりの自宅に行ってみた。かおりの家は僕の家よりも海抜は低かったが、幸い津波の被害は受けていなかった。しかし、木造の古い借家だったかおりの家は、限りなく全壊に近い半壊の状態で、とても立ち入れる状態ではなかった。

 ワンボックスカーを降りるなり、かおりは借家のある敷地に走っていった。

「おとーさーん!おとーさーん!」

 もしも誰かがちょっとした力で壁を押したら今にも崩れてしまいそうな家の玄関に向かって、かおりは叫び続けた。そして、いくら呼び続けても返事がないことに痺れを切らせたかおりが潰れかけた家の中に飛び込もうとした矢先、一帯を余震が襲った。

 黒尾が慌ててかおりの手を引いた途端、玄関の引き戸の枠が崩れ落ちた。

「ここにはいない。避難所を当たってみよう」
「……」
「地震から一晩経っている。近所の人が声をかけてくれているはずだ」

 黒尾がそう言ってかおりを借家から引き離そうとしたが、かおりはその手を振り払い、歪んだ家の前に一歩歩み出た。

 その表情は、父親の安否が気がかりで狼狽えているといった様子ではなく、何かに腹を立てているようないかめしいものだった。

 かおりは回線のパンクで繋がるはずもないとわかっていながら、スマートフォンを取り出して、父親の携帯電話を呼び出した。しかし、かおりの発信はすぐさま不通を知らせる録音メッセージに変わってしまった。かおりはスマートフォンを握った手をだらりと落として、深いため息を吐いた。

「きっと大丈夫だよ。僕のお母さんだって自力で避難できたのだし、きっと逃げられたはずだよ」

 僕は何の根拠もないと知りながら、気休めを言ってかおりを慰めようとしていた。

「そうだとも。どう考えても、ここに留まっている方が危険だ」

 一人で家に残されたかおりの父親が、人知れず倒壊した家の中で気を失っているか絶命している可能性もゼロではなかったが、今はそのことを口にするべきではないと黒尾は判断していた。

「僕は黒尾さんと竹さんを探しに行く。水族館にどれだけの被害があるのかわからないけど、原発の爆発で避難命令は出でいるはずだ。だから、先ずは敬光学園に行ってみようと思う」

 僕がそう言うと、かおりが振り返り、顔を上げて唇を噛み締めた。

「私も、行く」

 目尻に涙をにじませて、駄々をこねる子供のようにかおりは言った。

「かおりちゃんは、ここに残って避難所を当たれ。お父さんを探さなきゃ」

 意固地になっているかおりを、黒尾が宥めた。しかし、かおりは容易に折れなかった。

「今の私、嫌い……」かおりは拳を握りしめて、肩を震わせていた。「お父さんがこのまま見つからなければいいと、心のどこかで思ってる」

 零れそうな涙をこらえて、かおりは気丈に歯を食いしばっていた。僕はかおりに寄り添い、その小さな背中にそっと手を当てた。

「もしも、お父さんがこの家の中で死んじゃっていても、どこかにいなくなっちゃってても、竹さんがそうなってしまったときの方が悲しいと感じてる」
「かおり……」
「私はお母さんが死んだのも、おばあちゃんが死んだのも、みんな私のせいだと思ってた。だから、お父さんとの歪んだ窮屈な生活に溺れるのも仕方のないことだと思ってた。その生活がこれで終わるのなら、お父さんはこのまま見つからなくてもいいんじゃないかって思ってる。それって、酷いよね。嫌だよね」

 心の内を吐き出すと、かおりは「おとうさん……。竹さん……」と呟きながら、僕の足元に崩れ落ちた。僕は、その場にしゃがみ込み、かおりの小さな身体を抱きかかえた。

 高校もろくに行くことができないうちから、かおりは水族館で竹さんと一緒にいた。かおりは暮らしの殆どの時間を竹さんと過ごしていた。かおりにとっては、竹さんは父親と同じ、あるいはそれ以上の家族と言っても過言ではなかった。

 僕は激しい心の葛藤に翻弄されているかおりをこのままここに残して行くことができそうになかった。

 黒男を見上げると、鼻柱にしわを寄せて、困り果てた表情をしていた。

「わかった。ついてこい」

 黒尾が匙を投げてそう言うと、かおりはすっくと立ち上がり、涙を拭ってワンボックスカーの運転席に飛び乗った。

「峠までの裏道なら、任せて」

 父親の呪縛を解き払ったかおりが、自らを鼓舞するようにそう言った。僕は敬光学園の忘年会に出向いたときのようにかおりの隣に座り、黒尾は後部のキャプテンシートに乗り込んだ。

 かおりがハンドルを握るワンボックスカーは、瓦礫が散らばる荒れた道を砂埃を上げて走り抜けていった。

竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(72)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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