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本を読んで泣いた。 「デジタルネイチャー〜生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」落合陽一著

久しぶりに、本を読んで泣きました。

「デジタルネイチャー〜生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」
メディアアーティストとして活躍する、落合陽一さんの本。

喜びや悲しみの涙とは違う、静かでかつ圧倒的な、知性を超えたところにある深い感動の涙でした。

アーティストとしての落合陽一氏。
メディアアーティストだということは知っていても、それよりも例えばSDGsに対する考察や、時事問題に対する意見の発信など、なんとなく「研究者・哲学者」的なイメージが先行していました。

いかなる発言においても、自分の軸のぶれることがなく、また今メディアに出ている人が持っているような独特の自己顕示欲が感じられず、心地の良い人だなというのを感じて、興味を持つようになりました。

そしてたどり着いたのが、「落合陽一録」という公式のYoutubeチャンネル。
そのコンテンツが落合さんの世界観の中で映像と音とともに表現されているのを観て、「なるほど、そういうことか」と、深く腑に落ちたんです。

色と光と音が作り出す空気感に、とてつもない納得感がありました。

デジタルネイチャーの冒頭部分の、霧の中をタクシーで走らせているその描写は、落合さんが写真や作品に表現している世界観そのもので、言葉と作品の間にこんなにも差異がなくて、的確に自分の言葉を言葉のない世界に落とし込める人がいるんだと。

そしてさらに読み進めて行くうちに、気がついたら電車の中で泣いていました。
私が決して明るくないデジタル関連の言葉の難解さもさることながら、一つ一つの表現の中に、静かに澄んでいる芯のようなものを感じて、深い感動を覚えたからです。

本を読んで泣いたのは久しぶりでした。

この人が見ている世界は、とても純粋なものなんだなと思ったんです。

「一にして全、全にして一」という本質

「一にして全、全にして一」のミクロをマクロが相互的に包摂される原理が実装を伴い全面化する。

デジタルネイチャーの中で最も印象に残っている言葉です。

この感覚は、私が幼少期にいつも寝る前になると、なんとも言えない身体感覚として感じていた感覚にとても近かったんです。
今まで誰かに伝えても、言葉にならなくて伝えられなかった。
でもこの感覚にはなんらかの真実が含まれている気がして、それを模索して生きてきました。

自分が成長するにつれて、いろんな概念や価値観を身につけてゆく中で、夜寝るときに感じるこの感覚すらも忘れ去られていったわけですが、
それを思い出す作業に、人生の時間やエネルギーをひたすらに費やしてきたと思います。

それが私の中で絵を描くことであり、タトゥーを彫ることであり、デザインやアートに向かうことで、またインド哲学やや仏教哲学、アマゾンのシャーマニズムにも繋がっていきましたし、世界中を旅するきっかけにもなりました。
そして、それでも拭えなかった人生の疑問を未だ持ち続けています。

それを、デジタルという一見それとは相反するように見えていたものが、ある臨界点を超えたときに、実はこの世界を「一にして全、全にして一」として認識することにつながるだろう--ということを言っている人がいる。

それだけでこの世界の美しさを思い出すことができる。

そんな体験をさせていただいた、感慨深い一冊でした。

情報過多で飽和状態になっている人にこそ、オススメの一冊だと思います。

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